ソンドハイムが私たちの世界からいなくなってから今日で一年が経つ。あれからそんな年月が既に経ったのかと思うと感慨深いが、私の中での彼の存在の大きさはずっと変わっていない。いやむしろますます大きくなったようにも感じるほどだ。実は数ヶ月前、元首相・安倍晋三が暗殺された後の険悪で息が詰まりそうな状況で私はミュージカル『Assassins』に出会いその世界観にのめり込むことになった。どうやらソンドハイムの魅力を探求する旅はまだまだ終わりそうにない。
今年ブロードウェイやウエストエンドでは彼の作品が続々と上演されたし今後も幾つかの作品の上演が控えている。来年はここ日本でも『太平洋序曲』が上演される予定だ。音源のリリースも沢山あった。アメリカの若手女性シンガーソングライター、エレリ・ワードがソンドハイムをカヴァーしたアルバム第2弾『Keep a Tender Distance』は原曲の良さを損なわずに現代のインディ・フォーク的なアレンジを加えたサウンドが相変わらず素敵だった。またブロードウェイの新キャストによる『イントゥ・ザ・ウッズ』のアルバムは粒揃いの歌い手による熱唱が堪能できる傑作だ。彼の名曲たちが今も歌われ続けているのはとても喜ばしい。
その中でも11月にリリースされた女優リズ・キャラウェイのライヴ・アルバム『TO STEVE
WITH LOVE: LIZ CALLAWAY CELEBRATES SONDHEIM』がソンドハイム愛に満ち溢れていて素晴らしかったので特筆したい。本作はキャラウェイが敬愛する故ソンドハイムにオマージュを捧げたショーを録音したものだ。20歳の時『Merrily We Roll Along』でブロードウェイ・デビューを飾りそれ以降さまざまなソンドハイム作品に出演してきたキャラウェイの40年に及ぶ輝かしい半生が彼の楽曲に乗せて綴られていく。
オープニングナンバーは様々な楽曲のミックスになっているのだが選曲が実に見事だ。まず祝福感あふれる「Company」で軽快に始まり、次に『Into The Woods』で赤ずきんがオオカミについて歌うナンバー「I Know Things Now」が挿入される。「彼は私が探そうと思わなかった美しいものをたくさん見せてくれた」「彼は私を興奮させると同時に怯えさせた」の“彼”は言うまでもなくソンドハイムに重なる。次に続く『太平洋序曲』の「Someone in a Tree」では老人が自身の幼少期を回想するフレーズ「あの頃は若かった」「私は出来事の一部だった。私は木の上の誰かだった」が現在のリズウェイの気持ちを代弁しているようだ。
そして「Broadway Baby」ではソンドハイムとの出会い、18歳のキャラウェイがNYでウェイトレスとして働いていた下積み時代から『Merrily We Roll
Along』のオーディションに合格するまでが彼女自身の説明を交えながら歌われる。デビュー前の彼女の苦労と喜びが歌のなかに滲み出ているようで感動的だ。
『Merrily We Roll Along』でキャラウェイは念願のブロードウェイの舞台に立つことになったのだが、蓋を開けてみると観客の途中退席が続出したり批評家の評価も散々だったりと興行的には大失敗。わずか2週間で閉幕してしまうことになる。そんな幻の舞台をキャラウェイは再現するのだが、ナイトクラブのウェイトレスという端役だった彼女の歌唱パートはほんの一部分しかなかったというのは少し切ない。
デビュー作で苦い思いをしたキャラウェイだったが、主演アン・モリソンのアンダースタディ(主演俳優に不慮の事態が生じた場合に備えて予め稽古をしている代役のこと)を務めていたことが彼女のその後のキャリアに重要な影響を与えた。ある日アン・モリソンが稽古中に体調を崩したためキャラウェイが代役を務めた時そこにはソンドハイムがいたのだ。「それはソンドハイムとの仕事に繋がる私のオーディションでした」とキャラウェイが語るように、『Merrily We Roll Along』終演後、彼女はソンドハイムの作品に出演する機会を得ることになる。
本作はキャラウェイの俳優としてのキャリアに関連する話が中心になっているが、私生活に絡んだ話も出てくるのが楽しい。たとえば彼女の息子ニコラスが乳児のころ朝方どうしても泣き止まない時は『Sweeney Todd』のバラッド「Not While I’m Around」を歌っていたこと。殺人をテーマにしたミュージカルからの一曲が子守歌というのには懸念があったようだが効果抜群だったようだ。そして今や30歳の子持ちになった彼には大人向けの子守歌「Now You Know」が捧げられる。「よし、これでわかったでしょう。人生はつまらないもの」「人々はあなたを愛し嘘をつく。青空からレンガが降ってくる」というフレーズがなかなか手厳しい。またソンドハイム・ファンの両親が『Follies』を観劇中に退席し、その数年後に離婚したこと。人生の後悔についての劇中歌「The Road You didn’t Take」を父親が当時どんな心境で聞いていたのだろうかと彼女は思いを馳せる。
その他にキャラウェイが個人的に愛するソンドハイムの楽曲も幾つか歌われている。60年代のTVミュージカル『Evening
Primrose』からの隠れた名曲「I Remember」「Take
Me to the World」の歌唱はただただ息を吞む美しさだ。また男女デュエット曲「Move On」で相手役に誰が出てくるのだろうかと思えば、なんと息子のニコラス(大のソンドハイム・ファンらしい!)で親譲りの優れた歌唱力を披露してくれる。
全部で20曲近くが歌われ基本的に歌詞はオリジナルのままだが、一曲のみ大胆に歌詞を書き換えた曲がある。『Company』の「Another Hundred People」という曲だ。以前、拙文で言及したこともあり私もお気に入りの一曲なのだが、かなりスピーディーで歌いこなすのは難しい。キャラウェイはこれをソンドハイムの曲に挑戦する難しさについての歌に改変しているのだ。「舞台で一番恐ろしかった瞬間はソンドハイムを歌うこと」だった彼女がソンドハイムの特徴である「長すぎて覚えるのも困難な歌詞」「息継ぎもできない速さ」など不満の種を完璧に歌い上げるのだから感嘆すると同時に思わず笑ってしまう。タイトルが「Another Hundred People」ならぬ「Another Hundred Lyrics」になっているのも可笑しい。間違いなくショーのハイライトの一つである。
ショーの最後にキャラウェイは「私にとってスティーヴがこの世にいないことはまだ実感が湧きません。彼はここにいるように感じられます。私たちは彼と一緒の時代に生きられてなんて幸運だったんでしょう」と語ってから「With So Little to Be Sure Of」を情感たっぷりに歌う。ソンドハイムという偉大なアーティストに出会えたことの喜びを表現するのにピッタリな一曲だ。あまりに素晴らしいので拙訳を掲載させてもらう。
It was marvelous to know you
And it's never really through
Crazy business this, this life we live in
Can't complain about the time we're given
With so little to be sure of in this world
We have a moment
A marvelous moment
あなたに出会えたことは素晴らしい
そしてそれは決して本当には終わらない
クレイジーな人生を私たちは生きている
与えられた時間に不満を言うことはできない
この世界で確かなことはほとんどないのだから
私たちには瞬間がある
素晴らしい瞬間が
本作を何度も聴いて思ったのは、ソンドハイムの曲たちがキャラウェイの半生をいかに雄弁に物語っているかということだ。それらを通してキャラウェイが見たもの、感じたことが私の頭の中にまざまざと浮かび上がってくるのだ。ソンドハイムの音楽は正に人生そのものであり、我々が人生で直面する様々な出来事にピッタリと当てはまる表現に溢れている。
そんなことを思いながら一年前インターネット上に溢れ出るように掲載された彼への追悼を読み返しているうちに俳優マンディ・パティンキンの言葉に行き着いた。今私が感じていることをこれ以上言い表すものには出会えないだろうと思う。彼が言うように私にとってソンドハイムは教師のような存在なのかもしれない。
彼が私たちに残した言葉と音楽を味わいながら散歩をしてみてください。
一人で、友人と一緒に、人生のさまざまな場面で。
聴いてみてください。時には一回だけでなく何度も。
一度聴いたら忘れられないような人間の最も複雑な感情をシンプルに表現しているのですから。
彼は私たちの最も偉大な教師の一人です。
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