スキップしてメイン コンテンツに移動

I’m Still Here!!


 3月に誕生日を迎えた。ソンドハイムの誕生日(3月22日)と近いことは嬉しいが、30代も後半に差し掛かると中年期が近いことを意識せざるを得ず誕生日は最早あまり喜ばしいことではなくなってしまった。

 So ―
 Just look at us. . . 
 Fat. . .
 Turning gray. . . 
 Still playing games
 Acting crazy
 Isn’t it awful?
 God, how depressing ―
 “Don’t Look At Me”

 ミュージカル『Follies』で若い頃に恋仲だったサリーとベンが中年になって再会した時に自虐的に歌うように、体に付いた脂肪はちょっとやそっとの運動では落ちなくなるし、白髪も容赦なく生えてくる。また顔の皺やシミも増えてくるし、若い時のようにちやほやもされなくなる。「ひどくない?」「なんて憂鬱なんだろう」という言葉も思わず言いたくなってしまう。なるべく年齢に囚われないように生きていきたいとは思うが、周囲の「ババア化」「ジジイ化」「劣化」といった何気ない一言が呪いの様にまとわりつき、言いようのない老いへの不安や恐怖に襲われる。私たちはその残酷な現実を受け入れながら生き続けていくしかない。

 私は誕生日を迎えた後、無意識のうちにソンドハイムの
“aging(年を重ねること)”をテーマにした曲を選んでひたすら聴いていた。彼がその優れた洞察力で表現してきたことをより深く理解したかったのだと思う。
 ●大昔の恋や夢を引きずる中年の男女たちが同窓会で人生を見つめ直す『Follies』から
 「I’m Still Here」「Could I Leave You」「The Road You Didn't Take」
 ●若年から中年まで複数の男女の恋模様を描く『A Little Night Music』から
 「Everyday a Little Death」「Send in the Clowns」
 ●3人の友人の20年間を中年期から青年期まで逆時系列で辿る『Merrily We Roll Along』から
 「Old Friends」「Growing Up」
 そう彼が携わってきたミュージカルは中年のキャラクターが登場する大人向けの作品ばかりだったためか、“aging”の美しさと醜さについて書かれた曲が沢山ある。そしてそのキャラクターは圧倒的に女性が多く、老いの哀愁を感じながらも逞しく生きていくさまが描かれている。それらを聴いているうちに私が漠然と抱えていた老いへの不安や恐怖は少しずつ和らいでいくようだった。
 
 ソンドハイムが追求したテーマの一つ“aging”について、The New Yorkerの追悼記事でライターのRachel Symeが素晴らしい文章を書いていたので拙訳して引用させてもらう。

ソンドハイムの“女たちの歌”が素晴らしいのは、俳優が年齢を重ねても楽しめるように作られていることだ。彼は女性が演劇界で時代遅れになるとは思っていなかった。彼の若い男性キャラクターの多くは地平線から未来を見つめている。スウィーニー・トッドでさえ彼なりのひねくれた方法で楽観主義者である。それに対してソンドハイムの女性たちは満面の笑みとしかめっ面で後ろを振り返っている。それは長いあいだ頑張り抜くことによって獲得しなければならない地位なのだ。ソンドハイムは年齢とともに悲しみが生じ、同時に視野が広がることを理解していた。だから彼の歌はまだここにあるのだ。(下線は筆者による)

 Rachel Symeが分析しているようにソンドハイムの“女たちの歌”はとても魅力的だ。彼が生み出した曲はどれも登場人物の心情を巧みに表現しているが、特に中年女性が歌う曲の描写には目を見張るものがある。
 ●『Gypsy』のローズ
 ●『Follies』のサリー、フィリスや元ショーガールたち
 ●『Company』のジョアンヌ
 ●『A Little Night Music』のデジレ
 ●『Sweeney Todd』のラベット夫人
 彼女たちを見つめるソンドハイムの眼差しはいつも優しさと敬意に溢れていて、女性が年老いていくことを嘲笑うようなことは決してなかった。どの楽曲にもそれぞれの人物が歩んできた人生の悲喜こもごもが歌詞とメロディに刻み込まれており心情が痛いほど伝わってくるのだ。
 『Company』の初演でジョアンヌを演じたエレイン・ストリッチはかつて「ソンドハイムは私が考えていることや人生で戦っていることを何故こんなに分かっているのでしょう?」と語っていたし、他にも多くの女優たちがソンドハイムの表現力を絶賛していたのも納得だ。
 これはソンドハイムが性別に関係なくそれぞれの登場人物になりきることに長けていたからだろう。彼の死の直前に行われたThe New Yorkerのインタビューでも「私は俳優がするように登場人物に入り込みます。入り込んだ頃には作者よりもその人物のことをよく知っているのです。なぜなら私は作者が書いたすべての文章に目を通し、かなりの頻度で疑問を呈しているからです」と明かしていた。


 ソンドハイムの“女たちの歌”を聴いていくなかで、あるコンサートの映像に行き着いた。ソンドハイム80歳の誕生日コンサートで真っ赤なドレスやスーツに身を包んだ女優6人がそれぞれ独唱を披露するという場面だ。その6人とはパティ・ルポーン、マリン・メイジー、オードラ・マクドナルド、ドナ・マーフィー、バーナデット・ピーターズ、エレイン・ストリッチという豪華な顔ぶれだ。彼女たちが歌うのは前述した女性たちの曲が多く、どれも年齢を重ねたからこそ出せる味わい深さがあり素晴らしい。


 その中でも一際輝いていたのがエレイン・ストリッチが歌う「I’m Still Here」だ。ミュージカル『Follies』からの1曲で、ショーの中盤でかつて映画スターだった中年女性カルロッタが自分の人生を振り返るブルース調のナンバーだ。

 Good times and bum times, 
 I've seen them all and, my dear, 
 I'm still here
 Plush velvet sometimes,
 Sometimes just pretzels and beer, 
 But I'm here
 "I'm Still Here"

 「時にはプレッツェルとビール」で乗り切り「パンティ姿で踊って一晩3ドルが給料」だった下積み時代。キャリアを着々と積んでいき演劇の主役を務めたり「黒目の妖婦役」を演じるように。やがて年を取っていくと「誰かの母親役」に。知らない男から「ねぇあなた何とかっていう女優だよね。昔は美人だったよね」と失礼なことを言われる時もあった。それでもカルロッタは自分に言い聞かせるように「私はまだここにいる」と歌い続ける。そんな
彼女の人生の背景には「世界大恐慌」「ビービの潜水」「J・エドガー・フーヴァー」「共産主義者」といった様々な出来事が駆け抜けていく。
 この曲は「Being Alive」に似ており同じメロディを繰り返すシンプルな構成で、曲が進むにつれてだんだん歌い手の感情が高まっていく。最後のヴァースでオーケストラが加わり「私はいろんなことを経験した。万歳三唱。セ・ラ・ヴィ」と歌うところで興奮は最高潮に達し「私はまだここにいる!」で絶叫に近い終わりを迎える時には思わずスタンディングオベーションをしたくなる。そこには成功と挫折を味わいながら壮絶な時代を生き抜いてきたカルロッタの喜怒哀楽がすべて詰め込まれているのだ。
 ソンドハイムの誕生日コンサートで当時85歳のストリッチが歌う同曲は比類ない魅力があり、ショービジネスの世界で60年以上生き残ってきた彼女自身の人生も背景に浮かび上がってくるようで心を揺さぶられた。人生の酸いも甘いも噛み分けた彼女が「いい時も悪い時も見てきた。でも私はまだここにいる!」と誇らしげに歌う姿には清々しさがあり、年を取ることは決して悪いことばかりではないと思えてくる。ソンドハイムの“女たちの歌”、また“aging”をテーマにした曲の中でも「I’m Still Here」は最高峰ではないだろうか。 


 私の調査が正しければの話だが、ストリッチが「I’m Still Here」を初めて公で歌ったのは2001年の一人舞台「Elaine Stritch at Liberty」の時だと思われる。彼女の当時の年齢は76歳。その後「I’m Still Here」はストリッチの定番曲になり彼女は亡くなる直前までこの曲を歌い続けた。ちなみに2012年ホワイトハウスでオバマ前大統領家族を前に歌った時の映像もYouTubeに上がっている。こちらのパフォーマンスも圧巻だ。
 ストリッチが「I’m Still Here」を歌う前に必ず披露するジョークがあった。

少し前、私はソンドハイムにこう言いました。
「ある時60代の女性がこの曲を歌っていると聞きました。時には50代、40代の女性が『私はまだここにいる』と歌っていると。彼女たちは一体どこにいたというのでしょうか?」
彼に頼まれた訳ではないですが、私は自分が納得できるまでこの曲には触れないと決めました。少なくとも80歳になるまでは。その年齢になって『私はここにいる!』と言いたいのです。
でもね、素晴らしい曲なので私はこの先20年も待つことはできません!

 70代になってようやく「I’m Still Here」を歌い始めたストリッチが自分より遥かに若い女優がそつなく歌っているのを聴き戸惑っているというのがおかしいジョークだ。
 私は40代でも50代でも60代でも、どの年代の女性が歌っても「I’m Still Here」の素晴らしさは変わらないとは思うが、歌い手が年を取れば取る程その魅力が増していくことは否定できない。この曲には年を重ねることを讃えるような祝福感があるからだ。エレイン・ストリッチのようなブロードウェイのレジェンドが晩年に披露するとなればその感動も一入である。



 「I’m Still Here」はストリッチ以外にも数えきれないほど多くの女性たち(時には男性たち)によって歌われてきた。TVシリーズ『glee』でクリス・コルファー『POSE』でパティ・ルポーンがカヴァーしていたこともある。トッド・ヘインズが映像を手掛け元パルプのジャーヴィス・コッカーが歌ったなんていうこともある。
 ソンドハイムは2度この曲の歌詞を新たに書き直したこともある。バーバラ・ストライサイドがコンサートで歌った時、また映画『ハリウッドにくちづけ』でシャーリー・マクレーンが女優デビー・レイノルズ(キャリー・フィッシャーの母親)をモデルとしたドリスを演じた時だ。後者は監督のマイク・ニコルズの依頼により実現したもので、ソンドハイムはマクレーンとレイノルズ双方の物語を織り交ぜながら書き直したという。

 そもそも「I’m Still Here」はどうやって生まれたのか、ソンドハイム自身がHBOのドキュメンタリー『Six by Sondheim』で明かしている。
 実は「I’m Still Here」が生まれる前に脇役のカルロッタに用意されていたのは「Can That Boy Foxtrot」という『Follies』のストーリーとは関係ないジョークのような捨て曲だった。そんななか演出家のハロルド・プリンスは元映画スターのイヴォンヌ・デ・カーロを起用。有名人の彼女が歌うということでソンドハイムは「Can That Boy Foxtrot」に代わる良い曲を新たに書き起こさなければならなくなった。
 ソンドハイムと脚本ジェームズ・ゴールドマン、振付マイケル・ベネット、製作ハロルド・プリンスらが集まりテーブルを囲む。そこでゴールドマンが放った一言によりソンドハイムはひらめいた。

「カルロッタがショーの中で意味のある役割を持つならば、おそらくその曲は生存についてであるべきだ。つまり彼女はすべてを経験し、“まだここにいる(She’s still here)”ということだ」


 彼はゴールドマンに感謝し、数日間姿を消して「I’m Still Here」を書きあげた。そこでカルロッタのモデルになったのが大女優ジョーン・クロフォードだった。ソンドハイムは家に帰ってクロフォードのデビュー作から晩年の『何がジェーンに起こったか?』までのフィルモグラフィを振り返ったそうだ。ソンドハイムはそのことについて下記のように語っている。

 元映画スターで今はテレビに出ている女優だからジョーン・クロフォードとそのキャリアをベースにしようと思いました。彼女はサイレント映画のスターとして始まりトーキーのスターにもなりました。やがて高齢になるとB級映画で斧を持つ殺人鬼になったり、『何がジェーンに起こったか?』に出演したりするようになりました。彼女はジョークのような存在になってしまいましたが生き延びました。生き延びたんです。カルロッタは正に彼女のことなんです。
 私はそこでジョーン・クロフォードのキャリアとアメリカの歴史を取り上げました。なぜなら彼女はすべてを経験しましたからね。彼女はビービの潜水、エドワード8世の退位を経験すると同時にハリウッドで起こったことも経験した。彼女はドラッグの時代、赤狩りの恐怖も生き抜いた。それらを全部まとめて少なくとも中身のある歌にしようと思ったんです。

 「I’m Still Here」はカルロッタが歩んできた人生の様々な出来事と世界恐慌から60年代までのアメリカの歴史が交差する壮大な構成となっている。そして厳しい世界を生き抜いてきたカルロッタを祝福すると同時に、彼女を演じた女優イヴォンヌ・デ・カーロ、そのモデルとなったジョーン・クロフォードも同時に祝福しているかのようだ。さらにエレイン・ストリッチを始めとする歌い手たちも祝福している。この曲を歌う女性たちはほぼ例外なく無敵のオーラをまとうような雰囲気がある。だから「I’m Still Here」はいつまでも色褪せないし、中年期に差しかかった女優たちが皆こぞって歌いたがるのだろう。
 そしてこの曲には聞き手も無敵のような気持ちになれる不思議な力がある。私は様々なヴァージョンの「I'm Still Here」を聴いているうちに、たかが一つ年を取ったことに気を揉んでいる自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。私はまだエレイン・ストリッチが「I’m Still Here」を歌った時の半分すら生きていないのだ。


First you’re young, then you’re middle-aged, then you’re wonderful. 

  ソンドハイムは自身の80歳の誕生日コンサートの最後でステージに立ち、熱烈な拍手と歓声に包まれながら感極まった様子でこう言った。これはアリス・ロングワース・ルーズベルトという作家の言葉の引用らしい。老齢になり「then you’re wonderful」と誇らしげに言うソンドハイムの瞳はキラキラと輝いていた。
 年を取ることは辛く悲しいことも多いが、同時に知識や教養、寛容や慈悲深さを身につけ人間としての円熟味が増していくという素敵な面もある。The New YorkerのRachel Symeが分析していたように、ソンドハイムは“aging”の美醜を良く理解していたのだろう。だからあんなにも素晴らしい曲がたくさん生まれたのだ。

 老化には抗えない。誰もが平等に年を取っていく。これからも老いの不安や恐怖が忍び寄ってくる時がきっとあるだろう。そういう時は「I’m Still Here」を聴いて最後のヴァースの「去年も生き延びた。そして私はまだここにいる!」を歌って乗り越えていこうと思う。ソンドハイムが、そしてこの曲を歌ってきたエレイン・ストリッチを始めとする女性たちが年を重ねることを祝福してくれるはずだから。

コメント

このブログの人気の投稿

AUDRA GYPSY

  『Gypsy』観劇記  2025.8.6 今夏にニューヨークで観劇したミュージカル『ジプシー』 のことを書こうと思いながらも、出張やら色々あり早くも2ヶ月が経 ってしまった。 それでも未だにサウンドトラックを聴いているとあの夜の感動が鮮 やかに甦ってくる。 歴史あるマジェスティック劇場の美しい内装と荘厳なシャンデリア 、オーケストラの迫力ある生演奏、 2階席後方まで響き渡るオードラ・マクドナルドの圧倒的な歌唱 ―― 余韻はまだまだ覚めやりそうにない。 1959年に初演された『ジプシー』は脚本アーサー・ ローレンツ、作曲ジュリー・スタイン、作詞スティーヴン・ ソンドハイム、振付ジェローム・ ロビンズら天才的なクリエイターたちが集結したミュージカル・ コメディの最高傑作の一つと呼ばれる作品だ。 秀逸なストーリーテリング、 1920年代のヴォードヴィルとバーレスクの雰囲気を再現した軽 快なメロディ、「Everything’s coming up roses(すべてがバラと花開く)」 など印象的な歌詞の数々は60年以上経った今でも色褪せることは ない。 ソンドハイムのミュージカルの虜となって以来、 彼が携わった作品を本場ブロードウェイで観ることは長年の夢だっ た。これまでロンドンで『フォリーズ』、日本で『ウエスト・ サイド・ストーリー』『太平洋序曲』を観たことはあったが、 ソンドハイムが生まれ育ったニューヨークで、 彼のミューズの一人であったオードラ主演(本作の宣伝では“ オードラ・ジプシー” という言葉が多用されていたため、オードラと呼ぶ方が自然だろう)の『 ジプシー』 を観ることは私にとって特別な体験で震えるような思いだった。 また『ジプシー』の楽曲はどれも素晴らしいが、 本作のラストナンバー「Rose’s Turn」 は錚々たるブロードウェイの女優たちによって歌い継がれてきたミ ュージカル史に残る名曲であり、私自身も大好きな一曲だ。 ソンドハイムも本曲を作詞した経験は自身のキャリアにおいて頂点 であったと明かしている( これを弱冠20代後半の時に書いたというのも凄い)。 トニー賞6冠の類い稀な歌唱力と美しいソプラノの声を持つ女優オ ードラが「Rose’s Turn」をどのように歌うのか、否が応でも期待が高まった。 さらに今回のプロダクションはオードラを筆頭...

Being Alive

  冬のある夜、私は友人と素敵なレストランとバーを訪れ多幸感あふれる時間を過ごした。やがてお開きとなり多くの人々で賑わう繁華街を通り抜けながら家路に着きアパートの一室で一人になると、不意に孤独感と寂寥感に襲われた。 このような感情は誰かと楽しく有意義なひと時を過ごした後に訪れるものだが、その夜はいつもより痛烈だった。私は気付いたらスティーヴン・ソンドハイムのバラード「Being Alive」を繰り返し聴き感傷に浸っていた。  「Being Alive」は1970年にブロードウェイで初演されたソンドハイム作詞・作曲、ジョージ・ファース脚本のミュージカルコメディ『Company』のラストを飾る曲だ。結婚の喜びと困難について描いた『Company』はトニー賞で当時としては過去最高の14部門にノミネートされ6部門で受賞という快挙を達成しソンドハイムの名をブロードウェイ界に一気に知らしめた重要な作品だ。主人公ロバートは35歳・独身のニューヨーカーで友人と恋人たちに囲まれ一見幸せそうだが、他人と深く関わることを避け、ステディな恋愛関係に踏み出す感情的な準備もできておらず孤独感をどこか漂わせる。そんな彼がまだ出会ってもいない架空の恋人=“誰か(Somebody)”に向けて「私を強く抱きしめて/深く傷つけて/必要としすぎて/知りすぎて」と歌う楽曲「Being Alive」は、その夜の私の心に深く響いた。 ■都市に生きる人々の孤独を描いた『Company』 どこにいても孤独になることはできるが、何百万人もの人々に囲まれた都市に住むことから来る孤独には特別な味わいがある。このような状態は都市生活や他の人間の集団的存在とは相反するものだと思うかもしれない。しかし単なる物理的な近さだけでは内的な孤独感を払拭するには十分ではない。他人と密接して暮らしながら自分の中で寂しく人の気配がないと感じることは可能であり容易でさえある。 オリヴィア・ラング著『The Lonely City』より  私が好きなイギリスの作家オリヴィア・ラングによる著書『The Lonely City(孤独な都市)』の中で上記のような文章があるが、都市に住む人間としてはこれをよく理解できる。たくさんの見知らぬ人々が狭いアパートに押し込まれるように住み、隣人の騒音に悩まされるくらい物質的な距離は近いのに、それぞれが会話を交わ...