私が書いた曲の中で一番好きな曲を教えてくださいと言われた時、当然のことながら答えられない質問なのですが、私はよく「Someone in a Tree」を提案します。音楽のリズムや執拗さ、歌詞の詩的なオリエンタリズムも好きですが、私が何より愛するのは、その野心——過去、現在、未来を一つの曲の形にまとめようとする試みです。(1)
約20作に及ぶミュージカルを始めテレビ番組、映画の楽曲など数々の名曲を生み出したスティーヴン・ソンドハイム。彼は自身のキャリアにおける一番好きな曲を聞かれた時はいつも決まった曲を挙げていた。それは1976年にブロードウェイで初演されたソンドハイム(作詞・作曲)×ジョン・ワイドマン(脚本)のミュージカル『太平洋序曲』からの一曲「Someone in a Tree/木の上の誰か」である。かつて彼は「この曲を作ったことは私の最高の誇りです」と語った(2)。またワイドマンの前で初めて曲を披露した夜はあまりに感情的になり演奏する前に泣き出してしまったというエピソードまである(3)。
そんなソンドハイムお気に入りの一曲について書きたいと常々思っていたのだが、今年の3月~4月に日本で上演された『太平洋序曲』を観劇したことが良いきっかけとなった。まず私は本作の戯曲を熟読することで作品への理解をより深められた。そしてソンドハイムとワイドマンが出演した70年代のドキュメンタリー番組「Anatomy Of A Song/曲の解剖」を視聴したり様々な文献にも目を通すことで『太平洋序曲』とソンドハイムのキャリアにおける「Someone in a Tree」の重要性を深く知ることができた。今回はそれらで得た知識をもとに本曲の魅力を探っていきたい。
■日本の芸術文化の影響
『太平洋序曲』と日本文化に浸ることで、血と脳の壁を突破し、私の知的な審美眼は感情的なものに変わっていったのです。(1)
(「Someone in a Tree」では)日本美術の視覚と聴覚を音楽で表現しようとしました。(4)
17世紀前半から19世紀末まで250年間国交を閉ざしてきた日本が1853年アメリカの提督マシュー・ペリーの来訪をきっかけに開国を迎えるまでの過程、そこから20年、30年と続く歴史を描くという異色のミュージカル『太平洋序曲』。第一幕の終盤ペリーとその一行が日本に上陸し、小屋で日本側と貿易条約を交わそうとするという重要な場面で「Someone in a Tree」は流れる。
私が初めて本作を聴いたのは新型コロナウイルスのパンデミックの渦中2020年3月にオンラインで開催されたソンドハイム90歳の誕生日コンサートの時だ。アジア系アメリカ人俳優4人がそれぞれの家から歌うパフォーマンスはリモートとは思えないほど息が合っていて素晴らしかった。初めて聴いた時、以前に拙文でも触れた「I’m Still Here」や「Being Alive」といった名曲のように同じメロディを繰り返しながらだんだん音数が増えていきサビで最高の盛り上がりをみせる構成に私はまず惹かれた。また様々な言葉を複雑に組み合わせた曲が多いソンドハイムにしては珍しいほどシンプルな歌詞も魅力的だった。これらの要素は日本の芸術文化(美術、音楽、俳句)に影響を受けていることを彼自身が明かしている。
<美術>
『太平洋序曲』制作前にソンドハイムはニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れた際、日本の三枚屏風に出会った。この三枚のうち左の屏風は真っ白で、中央の屏風は右側の縁から木の小さな枝が伸びていた。そして右の屏風には豊かな木と枝にとまる鳥が描かれていたという。屏風の3分の2が真っ白で何も描かれていないことによって右の屏風が力強い印象を与えることにソンドハイムは甚く感動した。それは省略されているものが見えているものと同じくらい重要であるということで、彼がずっと大切にしていた美学「Less Is More(少ない方が豊かである)」を究極的に表現していたからだ。この日本美術との出会いによりソンドハイムは「Less Is More」への理解をより深めることになり『太平洋序曲』の創作に挑んだ。もちろんその経験は「Someone in a Tree」を生み出す時にも活かされた。
<音楽>
最後まで同じリズムを維持することで曲に執拗さを与え時間を引き延ばし、この曲の哲学的なアイディアである歴史に音楽的に相当すると思います。(3)
ソンドハイムは日本の伝統音楽を聴いた時、楽譜をあまり利用せず同じメロディが延々と続く感じに惹かれたという。その執拗さを表現した「Someone in a Tree」では同じ伴奏が66小節続きだんだん強くなっていくという構成になっている。しかしこの伴奏、実は全く同じメロディという訳ではない。前述のドキュメンタリー番組(3)でソンドハイムは観客の興味を持続させるため同じコードとリズムに固執しながらも部分的に音を上げたり下げたり他の音色を導入したことを実際にピアノ演奏しながら説明している。この僅かな変化によって我々はひたすら続く伴奏を飽きることなく聴くことができるのだろう。
<俳句>
俳句は日本の本質を象徴しているように思えたので曲を書く時の意図的なモデルになりました。(1)
五・七・五の3行で構成される俳句はソンドハイムが感銘を受けた三枚屏風に匹敵するものであり、その簡潔さは「表現されていない必要なもの、それを読者が自分の想像力で埋められるような感覚を際立てる」と彼自身が述べている(1)。第一幕まではアメリカが日本文化に浸透する前の時代であるから俳句のシンプルな表現方法が積極的に歌詞に盛り込まれたという。もちろん第一幕の終盤で流れる「Someone in a Tree」でも俳句に影響を受けた歌詞が多く見受けられる。それに対して第二幕の序盤で流れる「Please Hello」ではいつものソンドハイムらしく言葉数が多い複雑な歌詞になっている。なぜならアメリカを始めイギリス、オランダ、フランス、ロシア各国の大使が日本に押し寄せて鎖国がいよいよ終焉を迎えることを意味する曲だからだ。この対比は非常に興味深い。
■記憶の断片と歴史
『太平洋序曲』最大の見せ場で流れる「Someone in a Tree」。しかし日本とアメリカで貿易条約が交わされた小屋の中の当事者たちは登場せず、実際の交渉や条約調印の様子も一切ステージ上に出てこないところが実にユニークだ。その代わりに、数十年前にその様子を木の上で隠れながら見ていた老人と少年期の彼、小屋の床下で盗み聞きしていた武士という3人の視点を通して描かれるのだ。これによって本曲は唯一無二のものに仕上がっている。
「Someone in a Tree」は主に以下3つのパート、また現在・過去・未来3つの時間軸で構成されている。
①
老人と少年の歌唱
②
武士の歌唱
③
老人、少年、武士の合唱
①
現在…少年と武士によるその時々の報告
②
過去…老人(元少年)の数十年を経た回想
③
未来…朗読者の時空を飛び越えた質問
元々このアイディアはジョン・ワイドマンのもので彼が書いた原案は5ページに及ぶものだった。それを基にソンドハイムがイメージを増幅させ完成させたのが「Someone in a Tree」である。では二人はなぜペリーや将軍の視点ではなく部外者の視点で描いたのだろうか? ソンドハイムは次のように語る。
私たちはおそらく日本の歴史の中で重要でありショーの中でも重要な瞬間に遭遇しました。そしてジョンから小屋で劇的なことは起こらなかったと聞いた時、私たちに大きな穴を残し、何か他でカバーしなければなりませんでした。二つの選択肢が残されていました。ひとつは銃を使って自分たちの歴史を作り上げること。もうひとつは何かを発明し、その日の議論を誰かの記憶に結び付けることです。(1)
ソンドハイムとワイドマンの最強コンビであればきっと小屋の中で起こったことを想像して充実した物語を生み出すこともできたはずだが、彼らは敢えて後者を選ぶことにした。つまりこの重要な歴史的瞬間は名前も知られることもなかった“誰か”3人の記憶に頼ることになるのだ。では「Someone in a Tree」における老人と少年、武士の証言はどのようなものだったのか簡潔に書き記していきたい。
1、老人と少年
曲が始まる前、本作の朗読者は「小屋の中で何が話し合われたのか誰も知らない」と言い、「この歴史的な日に何が行われたのか日本で正真正銘の証言がないのは残念だ」と嘆く。そしてオーケストラの音に合わせて老人が現れ「すみません、私は小屋にいました」と朗読者に語りかける。彼は少年期この近くにあった木の上で条約調印の様子を見ていたと主張するのだが、その記憶はおぼろげで明確な場所を指定することはできない。やがてステージ上に現れた木に何度も登ろうとしながら「私はすべてを見た」と歌う老人。しかし老齢の彼は木に登ることはできない。老人の苛立ち、絶望感と共に音楽は盛り上がっていき頂点を迎えたところで10歳の頃の彼が時空を越えて登場する。少年は木に軽々と登りながら「私が見るものを彼(朗読者)に伝えて!」と言う。
彼らは何を見る(見た)のか? 私たちの期待は否応なく高まるが、2人が語る証言は「男と畳が見える」「服に金の飾りがある」「誰かが書類を渡すために歩き回っている」といった無益な情報でしかない。しかし彼らは得意げな様子で「木の上に誰かいなければ、ここでは何も起こらなかった」と朗読者に歌いかけるのだ。
2、武士
続いて小屋の床下に潜んでいる武士が「すみません、私はここにいます」と朗読者に語りかける。彼はもし小屋でアメリカの裏切り行為があれば床下から飛び出すように指示されていたのだ。彼は何も見ることはできないが要人たちの声は聞くことができると言う。朗読者, 老人、少年は「あなたが聞いていることを私たちに伝えて!」と合唱する。
ついに小屋の中で起こったことを知ることができる!と私たちは期待を抱くが、残念ながら武士の証言は「まずギシギシという音、そしてドスンという音、今はカチャカチャという音がする」「彼らが話す時は何度も大声を出す」「床板がうなる音がする」など老人と少年と同じく曖昧だ。それでも武士は「私が聞いているから、彼らはそこにいるのだ!」と言い張る。
『太平洋序曲』の演出家ハロルド・プリンスは「Someone in a Tree」のことを「5分間の羅生門」と表現した(5)。映画『羅生門』では同じ事件が4人の視点で語られるが、それぞれの証言は食い違っており目撃者である木こりのみが事件の真相を語ることになる。「Someone in a Tree」も同じ出来事が3人の視点で語られるわけだが、パート1とパート2における老人と少年の視覚的な情報、武士の聴覚的な情報は不確かであるため我々は日本とアメリカでどのような議論が行われたか知ることはできない。老人はそもそも数十年前の出来事なので記憶が断片的である。また小屋から遠く離れた木の上にいる少年が見るもの、武士が小屋の床下(床がどれくらいの厚みなのかもわからない)で聞けることは限られている。
私は初めて『太平洋序曲』を通しで観て「Someone in a Tree」を聴いた時、「果たして小屋の中で何が起こったか?」という誰もが純粋に抱くであろう疑問に答えてくれないので少し肩透かしを食らったような気持ちだった。なぜ老人と少年、武士は自信満々に「私はすべてを見る(見た)、聞く」と言い張ることができるのだろうか? 次のパート3で彼らが合唱するところに答えがある。
3、3人の合唱
パート2で武士が歌っている途中で老人と少年が加わり実況中継が始まる。老人と少年は見たこと、武士は聞いたことをそれぞれ身勝手に歌う。やがて彼らの歌唱はだんだん揃っていきオーケストラが加わり最後に次のような三重唱となる。俳句の影響がうかがえる美しい歌詞だ。
It’s the fragment, not the day
It’s the pebble, not the stream
It’s the ripple, not the sea
That is happening
Not the building, but the beam
Not the garden, but the stone
Only cups of tea
And history
And Someone in a Tree!
それは断片であり日ではない
小石であり小川ではない
さざ波であり海ではない
それは今ここで起こっている
建物ではなく梁である
庭ではなく石である
一杯の茶のみ
そして歴史
そして木の上にいる誰か!
ソンドハイムは本曲の原案で「部外者は詳細を見る。内部者は客観的ではない」という言葉を書いた(1)(3)。つまり小屋の中で起こったことのみが歴史において重要なのではなく、外でその様子を目撃していた人間の詳しい記憶も歴史の一部であり重要であるということだ。私たち人間は1日の断片で、木の上の誰かでしかない。川の小石、海の小波、庭の石のようなただのちっぽけな存在である。しかし見方を変えれば人間は歴史の一部でもある。ささやかな記憶の断片が積み重なっていくことで歴史が作られるということを表現したのが「Someone in a Tree」なのである。本曲がかくも感動的なのは人生の儚さと豊かさを同時に感じさせるからだと思う。
「Someone in a Tree」はソンドハイムが創作の指針としていた「少ない方が豊かである」の美学を結晶させた曲であり、日本の芸術文化の要素を果敢に取り入れた繰り返されるメロディとシンプルな歌詞で歴史という概念を見事に表現している。
参考文献
(1)『Finishing the
Hat』written by Stephen Sondheim
(2)『ドラマとしてのミュージカル』スコット・マクミリン著、有泉学宙訳
(3)「Anatomy of a
Song」TV documentary(1976)
https://www.youtube.com/watch?v=hFkldZHOp_k
https://www.youtube.com/watch?v=JPmRiJNOVz0
(4)「Sondheim!」written by Chip Brown
https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/sondheim-66534188/
(5)『Careful the
Spell You Cast: How Stephen Sondheim Extended the Range of the American Musical』written
by Ben Francis
(6)https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/books/98/07/19/specials/sondheim-words.html
(7)『How Sondheim
Found His Sound』written by Steve Swayne
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