冬のある夜、私は友人と素敵なレストランとバーを訪れ多幸感あふれる時間を過ごした。やがてお開きとなり多くの人々で賑わう繁華街を通り抜けながら家路に着きアパートの一室で一人になると、不意に孤独感と寂寥感に襲われた。このような感情は誰かと楽しく有意義なひと時を過ごした後に訪れるものだが、その夜はいつもより痛烈だった。私は気付いたらスティーヴン・ソンドハイムのバラード「Being Alive」を繰り返し聴き感傷に浸っていた。
「Being Alive」は1970年にブロードウェイで初演されたソンドハイム作詞・作曲、ジョージ・ファース脚本のミュージカルコメディ『Company』のラストを飾る曲だ。結婚の喜びと困難について描いた『Company』はトニー賞で当時としては過去最高の14部門にノミネートされ6部門で受賞という快挙を達成しソンドハイムの名をブロードウェイ界に一気に知らしめた重要な作品だ。主人公ロバートは35歳・独身のニューヨーカーで友人と恋人たちに囲まれ一見幸せそうだが、他人と深く関わることを避け、ステディな恋愛関係に踏み出す感情的な準備もできておらず孤独感をどこか漂わせる。そんな彼がまだ出会ってもいない架空の恋人=“誰か(Somebody)”に向けて「私を強く抱きしめて/深く傷つけて/必要としすぎて/知りすぎて」と歌う楽曲「Being Alive」は、その夜の私の心に深く響いた。
■都市に生きる人々の孤独を描いた『Company』
どこにいても孤独になることはできるが、何百万人もの人々に囲まれた都市に住むことから来る孤独には特別な味わいがある。このような状態は都市生活や他の人間の集団的存在とは相反するものだと思うかもしれない。しかし単なる物理的な近さだけでは内的な孤独感を払拭するには十分ではない。他人と密接して暮らしながら自分の中で寂しく人の気配がないと感じることは可能であり容易でさえある。
オリヴィア・ラング著『The Lonely City』より
私が好きなイギリスの作家オリヴィア・ラングによる著書『The Lonely City(孤独な都市)』の中で上記のような文章があるが、都市に住む人間としてはこれをよく理解できる。たくさんの見知らぬ人々が狭いアパートに押し込まれるように住み、隣人の騒音に悩まされるくらい物質的な距離は近いのに、それぞれが会話を交わすことはほとんどなく精神的な距離は遠く隔たっている。都市は充分に孤独な場所になり得るのだ。
『The Lonely City』は30代・独身でニューヨークに移住し深い孤独感を覚えたラングが様々なアートに触れることで癒されていく過程を綴った回顧録・アート研究書であり、エドワード・ホッパー、アンディ・ウォーホル、ヘンリー・ダーガー、デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチなどアメリカの都市に生きたアーティストたち(その大方がニューヨーク)がどのように孤独を表現してきたかを考察する。このように都市における孤独はこれまで多くの芸術作品のテーマとなってきた。ミュージカルコメディ『Company』もその一つであろう。ソンドハイムは本作について以下のように語った。
この作品は人間らしさを失っていく社会で一対一の人間関係を築くことがますます難しくなっていくことをテーマにしています。孤独な群衆症候群です。私たちは、観客が二時間座って笑い転げ、家に帰って眠れなくなるようなショーを作りたかったのです。(1)
50~60年代のアメリカは空前の経済成長を遂げていった一方で、労働における時間と金銭面のプレッシャー増加、テレビなどの技術革命といった原因によりコミュニティが徐々に衰退していき“孤独な群衆”が増えていったと言われている(2)。大都市ニューヨークでその傾向が強かったことは想像に難くない。そんな時代を経て制作された『Company』ではジョージ・ファースが生み出した人間臭いキャラクターとソンドハイムの洗練された楽曲によりニューヨークに住む人々の孤独が巧みに映し出されている。
You're always sorry
You're always grateful
You hold her, thinking, "I'm not alone"
You're still alone
あなたはいつも申し訳なく思い
いつも感謝している
彼女を抱きしめて「ひとりじゃない」と思っても
あなたはまだひとり
「You're Always Sorry」Stephen Sondheim
It's a city of strangers—
Some come to work, some to play
A city of strangers—
Some come to stare, some to stay
And every day
Some go away
ここは見知らぬ人たちの街
働きに来る者、遊びに来る者
見知らぬ人たちの街
ある者は見つめ、ある者は留まる
そして毎日
ある者は去る
「Another Hundred People」Stephen Sondheim
60年代までのミュージカルは「ある男女が出会い困難を乗り越え最終的に結ばれる」というボーイ・ミーツ・ガール的ストーリーを時系列順に描くファミリー層向けのものが主流だった。それに対して『Company』は大人向けのミュージカルであり、結婚した後の苦難も描いた点、また明確で直線的なプロットはなく短い場面が時系列バラバラに挿入されるという形式(後にコンセプト・ミュージカルと呼ばれる)が当時としては画期的かつ挑戦的だった。
『Company』の物語は35歳の誕生日を迎えたロバートのアパートで幕を開け、彼と既婚の友人たち、恋人たちとの会話劇が次々と展開されていく。彼らは人生の様々な段階にいてそれぞれが孤独と葛藤を抱えている。結婚式を間近に控えて神経衰弱を起こしそうになっている花嫁。ロバートの目の前で柔術バトルを見せる対抗意識の強い夫婦。順風満帆そうかと思いきや離婚を計画している夫婦。とっくに愛は冷めているがお互いを利用しあう関係で満足している中年の夫婦。ロバートの恋人の一人は世界の中心地ニューヨークに住むことを生き甲斐にしており、別の恋人は結婚するためニューヨークを去り郊外へ移住しようとしている。
ロバートは彼らとの会話を通して結婚について様々な学びを得る。“結婚”とは二人で一緒に行う小さなことの積み重ねであること。一緒に趣味を追求し、貯蓄を増やし、子どもの人生をめちゃくちゃにすること。また一緒に泣いて噓をつき、年を取り白髪になり枯れていくこと。いつもパートナーに謝罪と感謝をすること。後悔と幸福を同時に感じること。
やがてクライマックスになるとロバートは「(結婚により)何が得られるのか?」と問いかけ、それに対する返答として「Being Alive」が流れる。
■不満から祈りへと進展する「Being Alive」
実は『Company』がブロードウェイで開幕する前、最後の曲は「Being Alive」ではなく別の「Happily Ever After」という曲の予定だった。「Happily Ever After」は「Being Alive」と共通する歌詞も多いが、感情的な部分はほとんどなく「一日の感謝と六日の後悔」「あなたを死ぬほど退屈させる誰かと末永く幸せに」といったフレーズから分かるように、ロバートが皮肉たっぷりに淡々と結婚について歌う曲だ。
演出家ハロルド・プリンスはこの曲を「これまでに書かれた曲の中で最も辛辣で最も不幸な曲だ」と語りソンドハイムに代わりとなる明るい曲を書くよう熱心に勧めた。しかしソンドハイムはそれに難色を示し、突然の楽観的な曲では言うべきことが「結婚は素晴らしい」しかなくなるため単調で迎合的なものになってしまうと主張した。そこで振付師マイケル・ベネットがロバートの友人たちの絡み合った話し声を曲の中で使うというアイディアを提案した。そして彼は「不満から祈りへと進展する可能性のある曲」=「Being Alive」を思いついたという(3)。ソンドハイムが言う「不満から祈りへ」とはどういうことなのか考察していきたい。
「Being Alive」の構成は「A-A-A-A-A-A-B-A」という同じAのメロディが基本的に繰り返されるという至ってシンプルなものだが、中盤で歌詞が変化するため前半「A-A-A-A」と後半「A-A-B-A」の二部に分けられる。前半の歌詞は以下のようになっている。
Someone to hold you too close,
Someone to hurt you too deep,
Someone to sit in your chair,
To ruin your sleep. . .
あなたを強く抱きしめる誰か
あなたを深く傷つける誰か
あなたの椅子に座り、眠りを妨げる誰か. . .
Someone to need you too much,
Someone to know you too well,
Someone to pull you up short,
And put you through hell. . .
あなたを必要としすぎる誰か
あなたのことを知りすぎている誰か
あなたを驚かせ、苦しめる誰か
Someone you have to let in
Someone whose feelings you spare
Someone who, like it or not
Will want you to share
A little, a lot
あなたが受け入れなければならない誰か
気持ちを共有する誰か
好むと好まざるとにかかわらず
少しずつ、たくさん
あなたと分かち合うことを望む誰か
Someone to crowd you with love,
Someone to force you to care,
Someone to make you come through,
Who'll always be there,
As frightened as you
Of being alive,
Being alive,
Being alive,
Being alive.
愛で押し寄せてくる誰か
あなたに気遣いを強要する誰か
あなたを切り抜けさせる誰か
いつもそこにいて
あなたと同じくらい生きていることに恐れを抱く
前半でロバートは“結婚”とは「あなた(二人称)を〇〇する誰か」と過ごすことだという客観的な意見を冷静に歌い上げる。それに対して友人たちが各節の終わりで彼をたしなめるような言葉をかけていく。
「君は誰かと一緒にいられない理由が山ほどあるが、一人でいる良い理由は一つもない」
「もうあなたは子どもじゃない」
「完璧でないことを恐れるな。本当に恐れるべきは、そうならないことだ」
「ただ見ているより経験する方がずっといい」
やがて中盤で友人の一人がロバートにバースデーケーキの蝋燭の火を吹き消すように言う。友人たちは舞台から立ち去りロバートは一人取り残される。そして後半の歌唱が始まる。
Somebody hold me too close,
Somebody hurt me too deep,
Somebody sit in my chair,
And ruin my sleep,
And make me aware
Of being alive, being alive
誰か私を強く抱きしめて
誰か私を深く傷つけて
誰か私の椅子に座って、私の眠りを妨げて
私に生きていることを気付かせて
Somebody need me too much
Somebody know me too well
Somebody pull me up short
And put me through hell
And give me support
For being alive,
Make me alive.
誰か私を必要としすぎて
誰か私を知りすぎて
誰か私を驚かせ、苦しめて
生きていることを支えて
私を生かして
Make me confused,
Mock me with praise,
Let me be used,
Vary my days.
But alone is alone, not alive.
私を混乱させて
賛美で私をあざ笑って
私を利用させて
私の日々を変化させて
でもひとりはひとり、生きてはいない。
Somebody crowd me with love,
Somebody force me to care,
Somebody make me come through,
I'll always be there,
As frightened as you,
To help us survive
Being alive,
Being alive,
Being alive!
誰か、私を愛で満たして、
誰か、私に気遣いを強要して
誰か、私を切り抜けさせて
私はいつもそこにいる
あなたのように怯えて
私たちを生き残させるために
生きていること
生きていること
生きていること
後半では前半の歌詞「Someone to」の部分が「Somebody」に、「you」の部分が「me」に変わる。ロバートの視点は急に二人称から一人称になり、「あなたを〇〇する誰か」という一般論のような観察は「誰か、私を〇〇して」という彼自身の具体的な願望に変わる。また各節の終わりで挿入された友人たちの声は無くなり、その代わりにロバートは“誰か”に対して「私に生きていることを気付かせて/生きていることを支えて/私を生かして」と歌う。
この「Someone to」から「Somebody」への変化について、私の英会話講師でミュージカルに造詣が深いアメリカ人と議論した時、「Someone to」と「Somebody」が同じ三音節「Some-one-to(サム-ワン-トゥ)」「Some-bo-dy(サム-バ-ディ)」になっていることを教わった時は目から鱗だった。つまり同じ三音節を保つことで後に来る歌詞(hold me too close/hurt me too deep)を変更する必要がなくなるのだ。
またSomeoneとSomebodyは「誰か」という同じ意味ではあるが、二部の「Somebody」の方がより切迫感が増すことも彼から教わった。例えば英語で「誰か助けて!」と言う時はSomeoneではなく「Somebody, help me!」の方が一般的と言われるそうだ。これにより後半のSomebodyセクションではロバートのより切実な感情が付与されている。
音楽学者スティーヴ・バンフィールドはこの僅かながらも重要な変化について「拒絶から受容へと突然、全体像を変える。ロバートが今、自己完結の喪失を欲していること、それが彼の不幸ではなく幸せになることを暗示している(1)」と分析した。ロバートは一歩距離を置いて結婚の難点を述べていた傍観者の立場から、良いこと悪いことすべてを受け入れてステディな恋愛関係を自ら積極的に求める姿勢へと変化するのだ。
ソンドハイムは同じAのメロディを保ったまま歌詞を微妙に変化させるだけで主人公の立ち位置を大きく変えることを可能にした。この手法は彼が大切にしていた美学「Less Is More(少ない方が豊かである)」を思い起こさせるものであり、ソンドハイムの作詞家・作曲家としての非凡な才能を垣間見られる。
■主人公とソンドハイムの共通点について
「Being Alive」の構造を知れば知るほどロバートの心情がいかに雄弁に語られているかに気付かされるため、ソンドハイム自身のことが彼に投影されていたのか?という疑問が湧いてくる。ソンドハイムは自身の楽曲に自伝的な要素が含まれていないことを明確に主張してきた(唯一『Merrily We Roll Along』の「Opening Doors」は自伝的な曲だと公言)が、過去のインタビューで「ロバートにあなたの面影はありますか?」という質問には躊躇しながらも以下のように答えている。
アウトサイダーは多くの劇文学の基本です。この国は順応性を求めている。だから不適合はかなり一般的なテーマで、それは多くのマイノリティに属する私が感じていることでもあります。(4)
『Company』制作当時、ソンドハイムは結婚の経験はもちろん(同性婚は認められていない時代)、誰かと真剣に交際をしたこともなかったため、二度の結婚を経験した作曲家の友人メアリー・ロジャーズの協力を得てメモ片手に結婚について根掘り葉掘り聞きながら楽曲を生み出していった。彼は61歳でソングライター、ピーター・ジョーンズに出会うまでずっとひとりで暮らしていたのだ。それまでの期間、たくさんの友人に恵まれ、ひとりで部屋に籠って仕事をするのも好きだったため孤独は苦にならなかったという。ロバートと自分は違うと強調した上でソンドハイムは次のように語った。
私が彼(ロバート)のために書くのが苦にならなかった理由のひとつは、あの感情的な断絶や機能不全というほどではないけれど、飄々としているというか、あるいは遠慮がちな態度、あるいは恐れが何なのかを理解していたからでしょう。わかりません。(4)
ソンドハイムは「Being Alive」に彼の自伝的要素があると明言していないが、現代と比較すると異性愛規範や結婚の押し付けがより強かった60年代にクローゼットの独身ゲイとして生きていた彼だからこそ、ロバートの恐れや不安、渇望といった心情をこれほど巧みに表現できたのではないだろうか。
■非人間化していく都市で求める“誰か”
「人間らしさを失っていく社会で一対一の人間関係を築くことの難しさ」について描いたミュージカル『Company』が上演されてから50年以上の歳月が経った。相次ぐ都市の再開発によるジェントリフィケーション(低所得層居住地域の富裕化現象)、止まらない消費主義、AI(人工知能)技術の急速な発展など、現代はますます人間らしさを失っているように思える。オリヴィア・ラングは『The Lonely City』においてジェントリフィケーションは都市のみでなく人間の感情にも起こっており、私たちは孤独といった困難な感情が単に不安定な性質の結果であり修正されるべき問題だ(もちろんそうではないと彼女は反論する)という考えを植え付けられていると分析する。現代社会に生きる人々がますます孤独を感じやすくなっていることは自明だ。突然の孤独感に襲われた冬の夜「Being Alive」が私の心にあれほど深く染み渡ったのは、5分間のバラードの中に「誰かを愛し愛されたい」という人間の根源的欲求がこの上なくストレートかつシンプルに描かれていたからだろう。
私は「Being Alive」を改めて聴きながら昔の恋人たちのことを思い出した。私の椅子に座り私の眠りを妨げ、私を驚かせ苦しめた男たち。誰かと親密な関係にあるという状態は孤独を癒す万能薬には決してならず、煩わしくストレスが溜まることは数えきれず、幾度となく不安や恐怖にも襲われたが、その一方で充足感を味わえる瞬間は確かに存在していた。
「Being Alive」を歌い終えたロバートは微笑を浮かべながら蝋燭の火を吹き消して『Company』は幕を閉じる。その後、彼がどうするかは描かれていないが、おそらく摩天楼の街に繰り出して新しい恋を探そうとするのだろう。
私はこの先、誰か(Somebody)に出会うのだろうか。数ヶ月後、数年後、数十年後に出会うかもしれない。あるいは出会って破局を迎えるかもしれないし、このまま誰にも出会わないかもしれない。わからない。それは私の行動次第だ。
独り身である期間が長くなるとパートナーがいない生活にだんだん慣れてきて「一人でも平気かもしれない」と思えてしまう時もある。しかし人間はどこまでも社会的生物であり誰かと繋がっていたい、寄り添って生きていたいと思う瞬間は確実に訪れるものだ。だから「Being Alive」の後半で悟りを得たロバートのように心をオープンにして愚直に人との繋がりを求めながら、見知らぬ人々が行き交うこの孤独な街で生きていきたい。「私を混乱させ/気遣いを強要し/日々を変化させ/愛で押し寄せてくる」“誰か”に出会うチャンスをみすみす逃さないように。それは“生きていること”をより感じられるはずだから。
参考文献
(1)「The importance of Adam Driver singing ‘Being Alive’ in ‘Marriage Story’」By Ashley Lee
https://www.latimes.com/entertainment-arts/movies/story/2019-12-06/marriage-story-adam-driver-song-being-alive-company
(2)『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』ロバート・D.パットナム著
(3)「Finishing the Hat」By Stephen Sondheim
(4)「Conversations with Sondheim」By Frank Rich
https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/library/magazine/home/20000312mag-sondheim.html
「Being Alive」はこれまで数多の俳優・歌手によって歌われている。すべては紹介しきれないので、特に私のお気に入りのヴァージョンを書き残していこうと思う。
あの夜、私が繰り返し聴いていたのは2010年のソンドハイム80歳の誕生日コンサートでジュリアン・オヴェンデンが歌う「Being Alive」だった。彼の控えめながらも張り裂けそうな歌声は非の打ち所がない。今のところ私のベスト1位である。後半のSomebodyセクションでただ声量を上げれば良いと安易に思っている歌い手も少なからずいるが、それは正しくないと個人的に思う。
コメント
コメントを投稿