『Gypsy』観劇記 2025.8.6 今夏にニューヨークで観劇したミュージカル『ジプシー』 のことを書こうと思いながらも、出張やら色々あり早くも2ヶ月が経 ってしまった。 それでも未だにサウンドトラックを聴いているとあの夜の感動が鮮 やかに甦ってくる。 歴史あるマジェスティック劇場の美しい内装と荘厳なシャンデリア 、オーケストラの迫力ある生演奏、 2階席後方まで響き渡るオードラ・マクドナルドの圧倒的な歌唱 ―― 余韻はまだまだ覚めやりそうにない。 1959年に初演された『ジプシー』は脚本アーサー・ ローレンツ、作曲ジュリー・スタイン、作詞スティーヴン・ ソンドハイム、振付ジェローム・ ロビンズら天才的なクリエイターたちが集結したミュージカル・ コメディの最高傑作の一つと呼ばれる作品だ。 秀逸なストーリーテリング、 1920年代のヴォードヴィルとバーレスクの雰囲気を再現した軽 快なメロディ、「Everything’s coming up roses(すべてがバラと花開く)」 など印象的な歌詞の数々は60年以上経った今でも色褪せることは ない。 ソンドハイムのミュージカルの虜となって以来、 彼が携わった作品を本場ブロードウェイで観ることは長年の夢だっ た。これまでロンドンで『フォリーズ』、日本で『ウエスト・ サイド・ストーリー』『太平洋序曲』を観たことはあったが、 ソンドハイムが生まれ育ったニューヨークで、 彼のミューズの一人であったオードラ主演(本作の宣伝では“ オードラ・ジプシー” という言葉が多用されていたため、オードラと呼ぶ方が自然だろう)の『 ジプシー』 を観ることは私にとって特別な体験で震えるような思いだった。 また『ジプシー』の楽曲はどれも素晴らしいが、 本作のラストナンバー「Rose’s Turn」 は錚々たるブロードウェイの女優たちによって歌い継がれてきたミ ュージカル史に残る名曲であり、私自身も大好きな一曲だ。 ソンドハイムも本曲を作詞した経験は自身のキャリアにおいて頂点 であったと明かしている( これを弱冠20代後半の時に書いたというのも凄い)。 トニー賞6冠の類い稀な歌唱力と美しいソプラノの声を持つ女優オ ードラが「Rose’s Turn」をどのように歌うのか、否が応でも期待が高まった。 さらに今回のプロダクションはオードラを筆頭...
冬のある夜、私は友人と素敵なレストランとバーを訪れ多幸感あふれる時間を過ごした。やがてお開きとなり多くの人々で賑わう繁華街を通り抜けながら家路に着きアパートの一室で一人になると、不意に孤独感と寂寥感に襲われた。 このような感情は誰かと楽しく有意義なひと時を過ごした後に訪れるものだが、その夜はいつもより痛烈だった。私は気付いたらスティーヴン・ソンドハイムのバラード「Being Alive」を繰り返し聴き感傷に浸っていた。 「Being Alive」は1970年にブロードウェイで初演されたソンドハイム作詞・作曲、ジョージ・ファース脚本のミュージカルコメディ『Company』のラストを飾る曲だ。結婚の喜びと困難について描いた『Company』はトニー賞で当時としては過去最高の14部門にノミネートされ6部門で受賞という快挙を達成しソンドハイムの名をブロードウェイ界に一気に知らしめた重要な作品だ。主人公ロバートは35歳・独身のニューヨーカーで友人と恋人たちに囲まれ一見幸せそうだが、他人と深く関わることを避け、ステディな恋愛関係に踏み出す感情的な準備もできておらず孤独感をどこか漂わせる。そんな彼がまだ出会ってもいない架空の恋人=“誰か(Somebody)”に向けて「私を強く抱きしめて/深く傷つけて/必要としすぎて/知りすぎて」と歌う楽曲「Being Alive」は、その夜の私の心に深く響いた。 ■都市に生きる人々の孤独を描いた『Company』 どこにいても孤独になることはできるが、何百万人もの人々に囲まれた都市に住むことから来る孤独には特別な味わいがある。このような状態は都市生活や他の人間の集団的存在とは相反するものだと思うかもしれない。しかし単なる物理的な近さだけでは内的な孤独感を払拭するには十分ではない。他人と密接して暮らしながら自分の中で寂しく人の気配がないと感じることは可能であり容易でさえある。 オリヴィア・ラング著『The Lonely City』より 私が好きなイギリスの作家オリヴィア・ラングによる著書『The Lonely City(孤独な都市)』の中で上記のような文章があるが、都市に住む人間としてはこれをよく理解できる。たくさんの見知らぬ人々が狭いアパートに押し込まれるように住み、隣人の騒音に悩まされるくらい物質的な距離は近いのに、それぞれが会話を交わ...