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Assassins


 78日に元首相・安倍晋三が暗殺された。日本で首相級の政治家が殺害されたこと(同様の事件が起きたのは第一次世界大戦前の80年前に遡る)、銃規制が厳しいこの国で犯人が自作した銃による凶行だったことに驚いた。

日本中に漂う不穏な空気感のなか私はアメリカ合衆国大統領の暗殺者・暗殺未遂者たちが登場するソンドハイムのミュージカル『Assassins』のことを思い出した。1990年にオフブロードウェイで初演されたミュージカルで1970年の『Pacific Overtures/太平洋序曲』に続くソンドハイム(作詞・作曲)とジョン・ワイドマン(脚本)の共同制作2作目に当たる作品だ。実を言うと私はそれまで本作について有名な劇中曲「Unworthy of Your Love」を聴いたことがある程度で内容も詳しく知らなったため手始めにオフブロードウェイ初演キャストのアルバムを聴いてみた。

何度か聴いてみると私はどの楽曲も非常にキャッチーで聴きやすいことに驚いた。暗殺者たちのミュージカルとはまるで思えないほど陽気なメロディに溢れているのだ。その曲と言えば暗殺者が一堂に集まって不平不満を語る合唱曲、絞首台や電気椅子での処刑を待つ凶悪犯の独白といったように恐ろしいものばかりなのだが思わず一緒に歌いたくなってしまう。ソンドハイムの楽曲は基本的に中毒性が高いのだが『Assassins』はより高く感じられ、私は取り付かれたかのようにアルバムを繰り返し聴くことになった。

そして私はアルバムを聴きながらソンドハイムの歌詞とワイドマンの戯曲を読み進めていった。そこには暗殺者たちの苦悩が生々しく描かれ、明るいメロディとは裏腹に重苦しい雰囲気に満ちていた。この明暗の組み合わせにも非常に惹かれていった。またアメリカン・ドリームの裏側や銃の恐ろしさを描いた世界観を知れば知るほど現代の日本にも通じるものが多いことに気付かされ、ますます『Assassins』の虜となった。

なぜソンドハイムはこんなに親しみやすいメロディを使ったのか? ソンドハイムとワイドマンが本作で描きたかったことは何だったのか? そんな疑問を抱くことになった私は様々な文献に目を通し二人のインタビュー動画も見ることになった。そこで得た知識を基に『Assassins』の魅力について書き残していきたい。


■魅力的なオープニング・ナンバー

本作で繰り返されるテーマがあるとすれば、実際には2回しか出てきませんが、現実に使われていて非常に馴染みのあるHail to the Chiefです。皆さんは行進曲としてご存知かもしれませんね。(ソンドハイム)(1)

Assassins』は「大統領を撃って賞を勝ち取ろう(HIT THE “PREZ” AND WIN A PRIZE)」という不気味なサインが掲げられた移動遊園地の射撃場で幕を開ける。そこで流れる①「Everybody Got The Right/誰もが幸せになる権利がある」の冒頭で使用されるのはアメリカ合衆国大統領の公式アンセムHail to the Chief/大統領万歳」のメロディである。この曲は大統領が出席する公式行事でしばしば使われ、最近では2019年のバイデン大統領就任式でも流れていたアメリカ国民にはお馴染みの軽快な行進曲だ。ソンドハイムはこの愛国主義的なHail to the Chiefのメロディをそのまま引用しテンポを落としてワルツ風にアレンジすることでカーニバルの雰囲気を醸し出している。

 しかしこの快活なメロディはすぐ不穏なトーンに変わっていく。なんせ射撃場のオーナーが次々と登場する暗殺者たちに偽物の賞で気を引き「さあ大統領を撃ち殺せ」と語りかけていくのだから。非常にショッキングな幕開けであるがサビのリズミックな拍子とオーナーの底抜けの明るさがどこかユーモアを漂わせる。ソンドハイムはオープニングシーンについて以下のように語っている。

ジョンと私はショーの冒頭でブラックユーモアとその後に出てくる軽めのユーモアを観客に知らせなければならないと考えました。実際このオープニング・ナンバーにも出てきますし、我々は色々な視点から見るつもりであり一つのレベルだけで扱うつもりはないということです。だから観客の中に緊張した笑いがあれば良いですし、衝撃的な沈黙があればそれもまた良いでしょう。重要なのは観客が眠ってしまわないことです。(ソンドハイム)(1

ソンドハイムが暗殺者によって曲調を少しずつ変えているところも面白い。例えばアメリカの歴史上初の大統領暗殺者には不吉に、逆に一番楽観的であろう人物には軽快に、また女性にはセクシーに(彼は敢えて男性であるオーナーに女性を見下す無礼な態度を取らせた)といった風に。

 ソンドハイムはアメリカ人であれば誰もが知っている行進曲を冒頭で大胆に引用し、さらに暗殺者のキャラクターに合わせて遊び心あふれるアレンジを加えることでオープニングから我々の心を引き付ける。


■親しみやすいメロディ

100年以上に渡るアメリカの歴史を取り扱うことになるためアメリカン・ミュージックのパノラマを作るのは適切で楽しいだろうと思いました。(ソンドハイム)(1

色々なスタイルの民謡を使うことにしたのは南部の民謡だけではないからです。ジョン・フィリップ・スーザは一種の民謡であり一種の伝統的な音楽で独自の雰囲気を持っています。あるいはスティーヴン・フォスターや20世紀のミュージカル・コメディもあります。私がやろうとしたのは両極端ではありますが典型的なアメリカン・ミュージックの楽天的なナンバーです。(ソンドハイム)(1

ソンドハイムが語るように『Assassins』はアメリカン・ミュージックの歴史を辿る作品でもある。前述したオープニング・ナンバーのように時にはアメリカ国民に馴染み深い楽曲をパスティーシュ(模倣)として使うなど彼は19世紀後半から1970年代まで各年代のアメリカン・ミュージックのスタイルを巧みに取り入れながら本作の音楽を生み出していった。ではそれぞれの曲でどのようなスタイルが使われていたのだろうか。アメリカン・ミュージックに造詣が深くない私は色々と調べていくうちに文献(1)~(5)に出会った。これらを頼りにそれぞれの曲の元ネタを記していきたい。良い機会なので併せて登場人物と全10曲の紹介も簡潔に行っていこうと思う。

 

■登場人物(年代順)

ジョン・ウィルクス・ブース…  1865年 エイブラハム・リンカーン大統領を暗殺

チャーリー・ギトー…      1881年 ジェームズ・ガーフィールド大統領を暗殺

レオン・チョルゴッシュ…    1901年 ウィリアム・マッキンレイ大統領を暗殺

ジュゼッペ・ザンガラ…     1933 年 フランクリン・ルーズベルト大統領の暗殺を試み失敗

リー・ハーヴェイ・オズワルド… 1963年 ジョン・F・ケネディ大統領を暗殺

サミュエル・ビック…      1974年 リチャード・ニクソン大統領の暗殺を試み失敗

サラ・ジェーン・ムーア…     1975年 ジェラルド・フォード大統領の暗殺を試み失敗

リネット・"スカーキー"・フロム1975年 ジェラルド・フォード大統領の暗殺を試み失敗

ジョン・ヒンクリー…      1981年 ロナルド・レーガン大統領の暗殺を試み失敗

 

■楽曲(設定年代、歌い手、元ネタになっている曲や音楽スタイル)

    "Everybody Got The Right/誰もが幸せになる権利がある" 

年代不明

オズワルドを除く暗殺者たちがオーナーから銃を入手していき最後は「誰もが幸せになる権利がある」と誇らしげに合唱するオープニング・ナンバー。前述の通り冒頭はHail to the Chiefのメロディを引用。


    "The Ballad of Booth/ブースのバラッド"

1865年 

ジョン・ウィルクス・ブースバラッド歌手による曲。

冒頭で再度「Hail to the Chief」がリンカーン大統領の入場曲として引用される。しかし間髪入れずに彼は暗殺され本作の語り手であるバラッド歌手が登場。ここでのバンジョーの楽し気なメロディはブルーグラス・ミュージックがベースに。アメリカ東部に入植したスコティッシュ&アイリッシュの伝承音楽をベースに発展したルーツ・ミュージックのジャンルの一つ。バラッド歌手のパートはアメリカ南部発祥の陽気で活発なフォークダンス&音楽形式ホウダウンの流れを汲む。それに対してブースのパートは悲しげなバラッドになっており南北戦争時代の愛国的な音楽を想起させる。どちらのスタイルも暗殺当時の1860年代に流行していたもの。


     "How I Saved Roosevelt/私がどうやってルーズベルトを救ったか"

1933

ジュゼッペ・ザンガラと聴衆によるマーチ。

“マーチ王”と呼ばれるほど多数の有名なマーチ曲を生み出した20世紀の作曲家ジョン・フィリップ・スーザEl CapitanThe Washington Postが元ネタ。前者は聴衆、後者はザンガラによって歌われる。かなり直接的な引用なのだが、これには明確な理由がある。ルーズベルト大統領が暗殺未遂現場の公園に車で入場した時El Capitanが実際に演奏されていたからだ。


     "The Gun Song/銃の歌"

1901年 

レオン・チョルゴッシュ、チャーリー・ギトーサラ・ジェーン・ムーア、そしてブース4人が“銃”について歌う合唱曲。1900年代に流行したバーバーショップ・カルテットと呼ばれるアカペラ四部合唱のスタイルを用いている。


     "The Ballad of Czolgosz/チョルゴッシュのバラッド"

1901年 バラッド歌手

レオン・チョルゴッシュの暗殺現場についてバラッド歌手が客観的な事実を淡々と歌う。「The Ballad of Booth」同様に陽気なフォークダンス&音楽形式ホウダウンが元ネタか。


     "Unworthy of Your Love/あなたの愛に値しない"

1975年~1981年 

ジョン・ヒンクリーリネット・"スカーキー"・フロムのデュエット。前者は女優ジョディ・フォスターに、後者はカルト集団の指導者チャールズ・マンソンに憧れ暗殺を企てた。二人が有名人への崇拝について歌う。70年代にヒットしたラブソングのパロディになっておりカーペンターズを彷彿とさせる。

 

     "The Ballad of Guiteau/ギトーのバラッド"

1881

ギトーバラッド歌手の合唱曲。ギトーが福音派の伝道師であったことから彼自身の詩「私は神の元へ行く」は讃美歌のように歌われる。また彼が絞首台に向かうパートでは19世紀アメリカ南部で生まれた二拍子の軽快なダンス音楽ケークウォークが流れる。バラッド歌手のパートは19世紀のポピュラー音楽パーラー・ミュージックの影響が垣間見える。家の応接間(パーラー)でアマチュアの音楽家が演奏した音楽のこと。


     "Another National Anthem/もう一つの国歌"  

年代不明

これまでに登場した暗殺者たちが集まり不満を爆発させながらバラッド歌手と対峙するナンバー。特定の音楽的影響は見受けられない。

 

     "Something Just Broke/何かが壊れた"

年代不明

ケネディ大統領が暗殺された直後に挿入される曲。農民、主婦、教師、工場労働者、会社員など時代も職業も異なる一般人たちが時代を越えて登場しそれぞれの大統領が暗殺された後の状況や気持ちを歌い上げる。本作の中で唯一暗殺者が登場しない曲。特定の音楽的影響は見受けられない。

 

     "Everybody's Got The Right/誰もが幸せになる権利がある"

年代不明 

暗殺者たちが歌うフィナーレ。オープニング・ナンバー同様に冒頭はHail to the Chiefのメロディが引用されるがトーンは少し物悲しくなっている。


このように分析してみると『Assassins』の楽曲の多様性、様々な音楽形式を自由自在に操るソンドハイムの手腕に改めて驚かされる。また興味深いのは暗殺者たちや一般の人々が合唱する年代不明の曲(①、⑧、⑨)には特定の音楽的影響が見受けられないことだ(①は冒頭に引用があるが、それ以外はソンドハイムのオリジナル)。それぞれの音楽形式は年代が確定している時のみ使用される。この正確さはいかにもソンドハイムらしい。つまり彼はそれぞれの暗殺が起こった当時アメリカ国民に愛されていたポピュラー音楽を意図的に使うことで観客を各年代にタイムスリップさせ本作の世界観に入り込ませることを容易にしたのだ。言うまでもなくアメリカの音楽は日本にも大きな影響を与えているから詳しい知識がない私でも本作の楽曲に親しみやすさを覚えたのだろう。

 

■一人の人間としての暗殺者

ソンドハイムが生み出したアメリカン・ミュージックのパノラマについて作家スティーヴ・スウェインは暗殺者たちが「私たちの歌を歌う」という事実がアメリカ人に「彼らとの同一化」を引き起こすと主張する(3)。また音楽専門家アンドレイ・ストライゼクは「お馴染みの歌やスタイルが登場人物を庶民として位置づけるために使われている」と分析する(4)。つまり暗殺者たちに各年代のスタイルで歌わせることで彼らがアメリカ国民の一人であるということが強調され観客との距離は縮まっていくのだ。この「暗殺者との同一化」は『Assassins』において重要なテーマになっている。

私たちが観客に求めたのは暗殺の瞬間から一歩下がってみることです。例えばジョン・ヒンクリーの場合、彼を暗殺犯として考えるのを止めて暗殺の直前に一歩下がり、心を深く病んだ人間、安定の淵で生きていた人間、大きな問題を抱えた子供、それらを解決できなかった人間として見てくださいということです。それが彼を私たちの周りの人々とおそらく認めたくないほど多くの共通点を持つ人物にしています。この観客と登場人物の関係こそが本作が成功するための鍵になると思います。私たちは観客に登場人物への共感や同情を求めてはいません。ただ彼らを実際よりも多面的で複雑な存在として見てもらうだけです。(ワイドマン)(1

もし『Assassins』が単なる政治的な広がりであったならば私は創作したくなかったでしょう。私たちが本作で達成したと望んでいるのは、登場人物を前面に出しその周りの政治的、社会的な意味合いをすべて盛り込むことです。(ソンドハイム)(1

ソンドハイムとワイドマンが語るように『Assassins』では暗殺者が人間味あるキャラクターとして描かれている。彼らが暗殺者たちの頭の中に入り込みそれぞれの苦悩を生々しく表現しているためワイドマンの意図に反して私は思わず感情移入をしてしまう場面が度々あった。例えば“狂人”と新聞に報じられたジョン・ウィルクス・ブースが暗殺の動機を切々と伝える時(彼が不愉快極まりない人種差別的な発言をするにもかかわらず)。イタリア系アメリカ人ザンガラが聴衆の「どこかの左寄りの外国人がやったのではないか」という心無い言葉に「右でも左でもない!ザンガラはただのアメリカ人だ!」と叫ぶ時。チャーリー・ギトーが「私は神の元へ行く」と歌いながら絞首台の階段を上る時。ビジネスに失敗し妻子にも逃げられた男サミュエル・ビックが絶望的な心情を吐露する時。私は彼らの声を聞く時、胸が締め付けられるような思いになる。そして同時にどうしようもない居心地の悪さを覚えてしまう。なぜなら私たちの多くは大統領暗殺という罪を犯した人間に共感することはどこかで倫理的に正しくないと考えているからだろう。

当たり前のことだが山上徹也が安倍晋三を暗殺するまで私たちは誰も彼のことを知らなかった。またリー・ハーヴェイ・オズワルドやチャーリー・ギトーが暗殺犯になるまでアメリカ人の誰もがその名を耳にしたことはなかった。恐ろしい蛮行によって彼らの名は一気に世間で知られることになった。それゆえに彼らをただの暗殺者、狂人、はみ出し者として見なすことは容易だ。しかし彼らは紛れもなく私たちと同じ人間である。『Assassins』は暗殺者たちが一人の人間であるという事実を徹底的に突きつけることで彼らのキャラクターを複雑化させ私たちの倫理観を揺さぶるのだ。

 

■バラッド歌手と暗殺者の対立

Assassins』には20世紀のフォークソングを歌うバラッド歌手が登場し重要な役割を果たしている。彼は本作の語り手であり一般的なアメリカ人の声を代弁する存在でもあり、アメリカン・ドリームを信じて疑わない楽観主義者だ。大統領暗殺を実行したブース、チョルゴッシュ、ギトーの犯行について批判的な見解を述べ、アメリカは努力すれば必ず夢は叶う国なのだとポジティヴさ全開で歌う。バラッド歌手の歌唱パートは暗殺者のパートと比べると更に明るい雰囲気のため聴いたり歌うのも楽しいのだが、歌詞をじっくり読んでみると少し向こう見ずで能天気すぎる傾向があることが分かる。

なぜそんなことをしたんだ、ジョニー?

誰も賛成しない

何もかも手に入れた君が

どうして国家を屈服させたのか?

 

リンカーンの評価は賛否両論だったのに

ジョン、お前のせいで今や賞賛しかないぞ

 

ジョニーの野郎!

お前は道を切り開いたんだ

他の狂人たちに

 

怒った男は規則を打ち立てない

銃は過ちを正さない

しばらくは傷つくがすぐにこの国は元に戻る

それが真実さ

"The Ballad of Booth/ブースのバラッド"

 

アメリカでは自分の発言ができる

目標を設定し今を生きることができる

自分の道を切り開く自由を与えられている

列の先頭に向かって

"The Ballad of Czolgosz/チョルゴッシュのバラッド"

 

明るい面を見るんだ

悲しい面ではなく

悪い面の中にも何か良いことがある!

これはあなたの絶好のチャンスだ

"The Ballad of Guiteau/ギトーのバラッド"


神話や歴史は主に物語や歌を通して世代から世代へと受け継がれていくものです。20世紀になると映画と演劇で、シェイクスピアの劇でさえも起こったことですが、歴史が単純化されてしまうのです。そしておそらく偏見によって、ある方向へ押しやられ民謡が度々使われるのです。私たちが知っていることは主に物語や歌を通して伝えられてきたものです。そこでジョンと私はアメリカの歴史で得た知識を民謡として歌うバラッド歌手をショーの中で登場させることが有効だと考えました。(ソンドハイム)(1

ソンドハイムが説明するように、陽気なフォークソングを通してアメリカの歴史を伝えるバラッド歌手は“単純化”を曲の中でしばしば行い最終的に暗殺者の怒りを買ってしまう。クライマックス前の⑧「Another National Anthem/もう一つの国歌」の時だ。この曲では楽観的なバラッド歌手と絶望した暗殺者たちの対立が描かれる。

「大統領を撃てば賞を獲得できるぞ」という射撃場オーナーの虚言を信じ込んで銃を手に入れ、各時代で大統領たちに向けて撃った暗殺者たちは「私の賞はどこだ?」と苛立たしく訴える。そこにギターを手にしたバラッド歌手が元気に登場し、アメリカは郵便配達員が宝くじに当たったり劇場案内係がロックスターになれる国だと豪語する。そんな楽観的な言葉に暗殺者たちは怒りを露わにして両者の言い合いは激化。やがてバラッド歌手は暗殺者たちに敗北しステージから引きずり下ろされてしまう。

 それまで明るい調子で歌っていた語り手を急に失ったステージは不穏な雰囲気を増していくことになる。しかもその後に挿入されるのがリー・ハーヴェイ・オズワルドによるケネディ大統領暗殺の場面であるから尚更だ。ここではテキサス教科書倉庫で自殺を考えるオズワルドの前にブースや他の暗殺者たちが現れ彼にケネディ暗殺をけしかける。演劇研究者スコット・マクミリンが「それは現代演劇の中で最も神経を逆なでする場面の一つであり、殺し屋が注目すべきヒーローになるという暗示がドラマ化される瞬間である。(6)」と分析するように私たちはアンチヒーローの暗殺者たちを前に不安と恐怖を抱かずにはいられない。

アメリカを体現するようなバラッド歌手の存在、彼と暗殺者たちを対立させる設定、その後に挿入されるケネディ暗殺。すべてが絶妙としか言いようがない。

 

■炙り出されるアメリカ社会の暗部

なぜアメリカでこれらの酷い事件は恐ろしい頻度と似た方法で起こってきたのでしょうか? 本作ではその理由をこのように提示しています。少なくとも現在流布している最も重要な国家神話により、私たちは夢を叶えられるだけでなく叶えるべきであり、もし夢を叶えられなかったら誰かや何かに問題があると信じさせるような国に住んでいるからだと。(ワイドマン)(1

政治的信条、慢性の腹痛、有名人への崇拝、承認欲求。⑧「Another National Anthem/もう一つの国歌」で暗殺者たちはそれぞれ違った殺人の動機を述べているが、ソンドハイムとワイドマンは彼らに共通する感情を同時に提示する。それは叶えられるはずだったアメリカン・ドリームに対しての失望と怒りだ。前向きなバラッド歌手は「郵便配達員や大統領、あなたが選ぶ者になれるよ」と歌うが、夢を叶えられず人生が不幸だと感じる者にはまったく響かない。「幸福を追求する権利が幸福になる権利に滲み出ることが本作の主題の一つです。(1)」とソンドハイムが語るように、『Assassins』において暗殺者たちはアメリカ独立宣言の「幸福追求権」があるのだから幸福を手に入れる権利も当然あると信じ込んでいたと仮定される。それはもちろん間違った考えではあるが、夢に破れて絶望した彼らは幸せを渇望する。そのため彼らにとってアメリカン・ドリームの象徴である大統領は憎むべき存在であり恰好のターゲットとなるのだ。

 そして暗殺者たちが手にするのはたった一発で人間を殺害できてしまう“銃”だ。アメリカ憲法の「武器保有権」によりアメリカ国民は銃を携帯する自由を保障されている。よって我々はオープニングシーンで既に暗殺者たちが少額を払うだけでオーナーから簡単に銃を手に入れるという衝撃的な場面を目にする。④「The Gun Song/銃の歌」では銃の恐ろしさが如実に語られており、アメリカの暴力的な銃社会に対する問題提起のようだ。この曲で暗殺者四人は銃によって悪党(大統領)を追い払い、大衆の注目を浴び、歴史に名を残し、世界を変えることができると盲信している。

 

そして、あなたがすべきことは

小指を動かすだけでいい

小指を動かせば世界を変えることができる

 

銃はなんて不思議なんだ!

なんという万能の発明だろう!

まず第一に銃を持てば誰もが注目する!

④“The Gun Song/銃の歌”

アメリカン・ドリームの裏側と銃社会の問題。『Assassins』でソンドハイムとワイドマンはアメリカ人が目を背けたくなるような自由の国アメリカ合衆国の暗澹たる真実を容赦なく炙り出したのだ。

 

■『Assassins』の普遍性

Assassins』は1990年に初演された作品だが、30年以上経った今でも普遍性を持ち続けている。残念ながら現在もアメリカでは銃関連の事件は減る気配がなく、2021年に銃が原因で死亡したアメリカ人は約48000人と過去最高を記録した。また行き過ぎた資本主義により貧富の差も未だ改善されていない。アメリカで本作は何度も再演されているが、観客はその度に当時の政治的状況を重ねながら観劇してきた。

9.11アメリカ同時多発テロ事件後の2004年にブロードウェイで再演された時、暗殺者たちがステージで銃を向けるシーンでは、初演時に比べると観客の緊張感が明らかに高かったという。当時ワイドマンは「1990年の初演時、俳優が観客に銃を向けた時は安っぽいトリックのように思えました。今、私たちは無防備だと感じています。私たち全員が潜在的なターゲットになった今、何が起きてもおかしくないと感じているのでしょう。(7)」と語った。

またドナルド・トランプが第45代アメリカ合衆国大統領に就任した2017年、ニューヨークで再演された時はThe Ballad of Booth/ブースのバラッド」の「今も昔もこの国は少し道を誤っている」という一節が歌われた後に観客の拍手がショーを20秒ほど止めたという。

2021年オフブロードウェイで再演された時は同年16日にトランプ支持者たちが起こした連邦議会襲撃事件を彷彿とさせるイメージがステージ上で使われていた。このプロダクションに出演していたビアンカ・ホーンはテレビ番組のインタビューで以下のように語る。

このショーは人々が声を聞いてもらえない時、自分の国やコミュニティーと繋がっていないと感じる時に何が起こり得るかを見るための鏡のような気がします。

事件について語らず、何もなかったかのように振舞い、また他の16日の事件が起こることがどれだけ怖いことでしょうか。私は毎晩ステージに上がって、このような凶悪なことをした人たちの声を伝え、そして私たちに「あなたはそれに対して何をしているのか?」「今起きていることをどう解釈しているのか?」と問いかけたいのです。(8)(ビアンカ・ホーン)

彼女が言う「鏡」というのは実にしっくりくる表現だ。『Assassins』は銃犯罪が絶えないアメリカ社会を映す鏡でありアメリカ人にその現実をしっかり見つめることを促している。

Assassins』は非常にアメリカ的な作品ではあるが、アメリカン・ドリームの暗部など日本に当てはまるテーマもあり今の日本社会を映す鏡でもあるように私は感じられた。それは日本が資本主義大国アメリカに近づいているということを意味するのだろう。

日本で政治の話題が日常的に上がることは滅多にないが、安倍晋三暗殺後は友人や同僚など隣人と政治について話す機会が自然と増えた。しかしそれも束の間でメディアが事件についての報道を減らしていくと政治について語らない日常がすぐ戻ってきてしまった。そうこうしているうちに安倍晋三の国葬決行、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有、防衛費の大幅増額と日本の右傾化は勢い止まらず戦々恐々としている。『Assassins』に触れる度に私たちはもっと政治について語るべきであると感じる。

本作に登場するすべてのものは議論できるものであり論争の的となるものです。観客はこのショーが何であるかについて話したり、おそらく実際に議論・論議したりする良い時間を持つことによって刺激されるべきでしょう。だからジョンと私は最後に道徳的な主張をしないことにしたのです。(ソンドハイム)(3

ソンドハイムとワイドマンは『Assassins』のテーマを学ぶべき教訓というよりも熟考し議論するための問題として提起する(3)。暗殺者をただの悪人、狂人として見なして終わるのではなく、彼の殺害動機に目をしっかり向けて周囲の人々と積極的に意見を交わすことの重要性を二人は訴えているようだ。それをしないと似たような事件が再発してしまうぞ、という警告に近いメッセージに思えてならない。


ソンドハイムにとって『Assassins』は「完璧に近い作品」でありワイドマンの完成した脚本を初めて読んだ時は「今までで一番興奮させられた瞬間」であったと発言している(9)。その言葉通り本作は脚本家と音楽家が同一人物なのかと思うほど二人の伝えたいことが一貫しているようだ。

各年代のアメリカン・ミュージックの形式を駆使して作られた親しみやすいメロディ。多面的で人間味あるキャラクターとして描かれた暗殺者たち。アメリカ国民の象徴として登場する語り手のバラッド歌手。アメリカ社会の暗部に焦点を当てた秀逸なストーリーテリング。観客への積極的な問題提起。これらの要素によって、“大統領暗殺史”という難解なテーマをミュージカルという芸術作品に昇華させたソンドハイムとワイドマンの才能、挑戦心は素晴らしい。

 

■参考文献

1)「Composing 'Assassins' - Part 1&2

https://www.youtube.com/watch?v=SUvqniHrW90  https://www.youtube.com/watch?v=M6hwm6Of53w&t=231s

2)『The Stephen Sondheim Encyclopediawritten by Rick Pende

3)『Storytelling in Opera and Musical Theaterwritten by Nina Penner

4)「Pastiche in Stephen Sondheim's "Assassins": an economical and powerful scorewritten by Andrei Strizek

https://www.andreistrizek.com/blog/pastiche-in-assassins

5)「Americana Unleashed: The Music of Assassinswritten by Signature Theatre

https://www.sigtheatre.org/about/news-and-blogs/2019/august/americana-unleashed-the-music-of-assassins/

6)『ドラマとしてのミュージカル』スコット・マクミリン著、有泉学宙訳

7https://www.nytimes.com/2004/05/02/theater/at-last-9-11-has-its-own-musical.html

8Musical Connects Radicalism In History To Today's Politics

https://www.youtube.com/watch?v=U6vPsklJtDI&t=152s

9)『Look, I Made a Hatwritten by Stephen Sondheim

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  『Gypsy』観劇記  2025.8.6 今夏にニューヨークで観劇したミュージカル『ジプシー』 のことを書こうと思いながらも、出張やら色々あり早くも2ヶ月が経 ってしまった。 それでも未だにサウンドトラックを聴いているとあの夜の感動が鮮 やかに甦ってくる。 歴史あるマジェスティック劇場の美しい内装と荘厳なシャンデリア 、オーケストラの迫力ある生演奏、 2階席後方まで響き渡るオードラ・マクドナルドの圧倒的な歌唱 ―― 余韻はまだまだ覚めやりそうにない。 1959年に初演された『ジプシー』は脚本アーサー・ ローレンツ、作曲ジュリー・スタイン、作詞スティーヴン・ ソンドハイム、振付ジェローム・ ロビンズら天才的なクリエイターたちが集結したミュージカル・ コメディの最高傑作の一つと呼ばれる作品だ。 秀逸なストーリーテリング、 1920年代のヴォードヴィルとバーレスクの雰囲気を再現した軽 快なメロディ、「Everything’s coming up roses(すべてがバラと花開く)」 など印象的な歌詞の数々は60年以上経った今でも色褪せることは ない。 ソンドハイムのミュージカルの虜となって以来、 彼が携わった作品を本場ブロードウェイで観ることは長年の夢だっ た。これまでロンドンで『フォリーズ』、日本で『ウエスト・ サイド・ストーリー』『太平洋序曲』を観たことはあったが、 ソンドハイムが生まれ育ったニューヨークで、 彼のミューズの一人であったオードラ主演(本作の宣伝では“ オードラ・ジプシー” という言葉が多用されていたため、オードラと呼ぶ方が自然だろう)の『 ジプシー』 を観ることは私にとって特別な体験で震えるような思いだった。 また『ジプシー』の楽曲はどれも素晴らしいが、 本作のラストナンバー「Rose’s Turn」 は錚々たるブロードウェイの女優たちによって歌い継がれてきたミ ュージカル史に残る名曲であり、私自身も大好きな一曲だ。 ソンドハイムも本曲を作詞した経験は自身のキャリアにおいて頂点 であったと明かしている( これを弱冠20代後半の時に書いたというのも凄い)。 トニー賞6冠の類い稀な歌唱力と美しいソプラノの声を持つ女優オ ードラが「Rose’s Turn」をどのように歌うのか、否が応でも期待が高まった。 さらに今回のプロダクションはオードラを筆頭...

I’m Still Here!!

  3月に誕生日を迎えた。ソンドハイムの誕生日(3月22日)と近いことは嬉しいが、30代も後半に差し掛かると中年期が近いことを意識せざるを得ず誕生日は最早あまり喜ばしいことではなくなってしまった。  So ―  Just look at us. . .   Fat. . .  Turning gray. . .   Still playing games  Acting crazy  Isn’t it awful?  God, how depressing ―  “Don’t Look At Me”  ミュージカル『Follies』で若い頃に恋仲だったサリーとベンが中年になって再会した時に自虐的に歌うように、体に付いた脂肪はちょっとやそっとの運動では落ちなくなるし、白髪も容赦なく生えてくる。また顔の皺やシミも増えてくるし、若い時のようにちやほやもされなくなる。「ひどくない?」「なんて憂鬱なんだろう」という言葉も思わず言いたくなってしまう。なるべく年齢に囚われないように生きていきたいとは思うが、周囲の「ババア化」「ジジイ化」「劣化」といった何気ない一言が呪いの様にまとわりつき、言いようのない老いへの不安や恐怖に襲われる。私たちはその残酷な現実を受け入れながら生き続けていくしかない。  私は誕生日を迎えた後、無意識のうちにソンドハイムの “aging(年を重ねること)”をテーマにした曲を選んでひたすら聴いていた。彼がその優れた洞察力で表現してきたことをより深く理解したかったのだと思う。  ●大昔の恋や夢を引きずる中年の男女たちが同窓会で人生を見つめ直す『Follies』から  「I’m Still Here」「Could I Leave You」「The Road You Didn't Take」  ●若年から中年まで複数の男女の恋模様を描く『A Little Night Music』 から  「Everyday a Little Death」「Send in the Clowns」  ●3人の友人の20年間を中年期から青年期まで逆時系列で辿る『Merrily We Roll Along』 から  「Old Friends」「Growing Up」  そう彼が携わって...