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Merrily We Roll Along

  スティーヴン・ソンドハイムが生み出した楽曲たちは自分が年を重ねるにつれて、より深く心に染み入るものが多い。彼が携わったミュージカルには人生に迷う中年期のキャラクターたちが度々登場し、その苦悩が巧妙に描かれているからだろう。毎日が小さな死であると歌う「Every Day a Little Death」、選ばなかった道への未練を綴る「The Road You Didn’t Take」、様々な出来事を乗り越えて生き残った自分を鼓舞する「I’m Still Here」といった曲たちを聴いていると、キャラクターたちが歩んで来た道のりがメロディと歌詞とともに浮かび上がってくる。それと同時に自分自身の人生も振り返らざるを得ないのだ。

 そんなソンドハイムのミュージカルの中でも『Merrily We Roll Along』は特に人生について考えさせられる作品だ。登場人物は作曲家・映画プロデューサーのフランク、作詞家・脚本家のチャーリー、作家・演劇批評家のメアリーの3人。物語は40代の中年期から始まり、20歳前後の青年期へと時間がどんどん逆行していく。第一幕では離婚、友情の不和と決裂、第二幕では初の共同制作ミュージカルの成功から結婚、3人の出会いまでが描かれ、前半と後半で明暗がはっきり分かれる。最悪の現在地から希望に満ち溢れた過去へと時間が遡っていくなかで、3人がどのような人生の道を辿って来たのかが徐々に明らかになる。

 先日40代になってから初めて本作を見返した。私の長年の英会話教師かつミュージカル友達と2024年ブロードウェイ版のウォッチ・パーティーをしたのだ。彼は現在スウェーデンに住んでいるので、先方が朝、こちらが夕方の時間にオンラインで行った。人生初のオンライン・ウォッチ・パーティーだったが、笑いと感動を共有し、充実した時間を過ごした。

 私が以前『Merrily』を観たのは数年前で、YouTubeにアップされていたウエストエンド版だった。勿論どちらも甲乙付けがたいほど素晴らしいのだが、中年になってから観る本作は、以前より遥かに感慨深いものがあった。時間が逆行していくなかで3人の後悔がじわじわ滲み出ていく過程は身につまされた。またフランク役ジョナサン・グロフが見せる哀愁に満ちた表情、チャーリー役ダニエル・ラドクリフのエモーショナルな歌唱、メアリー役リンジー・メンデスが歌う「Like It Was」の切なさに胸を抉られるようだった。そして終盤で若かりし頃の3人が歌う「Opening Doors」「Our Time」を聴き終えた後には、20代の頃の自分が甦ってくるようで不思議な清々しさを覚えた。

 二度目となる今回の鑑賞で一番印象的だったのは「知っていることを書け/Write what you know」というセリフだ。中年のフランクが野心的な劇作家の青年にアドバイスを求められた時に言うのだが、これは最後のシーンで若い時のチャーリーがフランクに伝えていた言葉なのだ(ブロードウェイ版では、この時に観客からため息が漏れるのが聞こえる)。このように人が去っても言葉は残り続け、時には忘れがたい宝物のようにもなる。その一方で、言葉は時に人の心を深く傷つける刃にもなる。チャーリーがテレビ番組出演中に『Franklin Shepard Inc.』でフランク自身を「金儲けの会社だ」と徹底的に侮辱し、メアリーがフランクのパーティーで彼の取り巻きたちを批判し「みんなクズみたいな存在で、あなたはそれに相応しい」と吐き捨てて、それぞれの友情は終焉を迎えてしまうように。

 残り続ける言葉というテーマはソンドハイムの楽曲にも反映され、本作は全編を通して同じメロディと歌詞が繰り返し登場する。ソンドハイム曰く、これは「逆リプリーズ/逆反復」(時間軸が逆行するため)という手法であり、彼は「反復はまず先に来る。登場人物が若い時に重要だった曲は年を取るにつれて違う共鳴を持つ」と自伝で語っている(1)。

 一例を挙げよう。3人の友情に翳りが見え始めた時、メアリーが「なぜ私たちは昔のようになれないの?」とチャーリーに問うスローバラード「Like It Was」では、その次の場面(時系列では5年前)に3人が堅い友情を確かめ合う陽気な曲「Old Friends」の一節が使われている。これについてソンドハイムは以下のように説明する。

この一節は、私たちが「まだ見ていない過去」への言及だ。重要なのは、人間は年を重ねるにつれて過去との再会の一つ一つが記憶によってより豊かなものになるということだ。比喩的に言えば、古いメロディはたとえ断片的な形になったとしても心に残り続ける。もし、このようなポイントを伝えるために(それ以外の意図も含めて)物語を逆方向に語るのであれば、音楽と歌詞は、そのテーマを単に反映するだけでなく体現しなければならない(1)。

 例えば冒頭の「That Frank」では「私たちの時間がやってくる/Our time coming through」、「私たちに乾杯、私たちみたいな友情は滅多にない/Here’s to us, who’s like us, damn few」といった若いころの3人の言葉が亡霊のように存在している。またラブソング「Not A Day Goes By」はフランクとベスが結婚する時と、ベスが浮気をしたフランクと別れる時に歌われ、それぞれ趣が全く異なる。

 ソンドハイムが本作の中で緻密に練り込んだこれらの逆反復は、彼らの友情が終焉を迎えた後、夫婦関係が解消された後も記憶の断片(詞とメロディ)は残り続けることを強調する。そして本作は逆方向に語られるため、私たちが最初に耳にするのは、中年期のほろ苦いヴァージョンなのだ。だからこそ切実感が余計に増すのだろう。


 鑑賞後、NPR(アメリカ公共ラジオ放送)のジョナサン・グロフのインタビューを聞いた時に新たな発見があった。その中でインタビュアーのテリー・グロスが「昨日は終わった/Yesterday is done」という歌詞で物語が幕を開けることを指摘するのだ。それまで私はこのフレーズを全く認識していなかったのでハッとさせられた。なぜなら、これは最後の「Our Time」でもフランクが夜空を見上げながら、希望に満ち溢れた様子でチャーリーに対して歌う逆反復のフレーズだからだ。しかし、同じ言葉であっても、中年期と青年期ではメロディのトーンが異なる。前者は「昨日は終わってしまった。過去はもう戻らない」という諦念を漂わせるが、後者は「昨日は終わった、明日から何をしよう、たくさんやることがある」という希望と期待を感じさせる。

 グロフは「昨日は終わった」で本作が始まることについて以下のように語る。 

この作品は終わりから始まる。自分の人生を脱ぎ捨てていき屋上で「Our Time」を歌い、一番純粋な自分にたどり着く。冒頭の「昨日は終わった」という言葉を聞いてからパフォーマンスを始めることは私にとって毎日「今この瞬間にいること」を思い出させてくれる大切なリマインダーになっている。

 この「自分の人生を脱ぎ捨てる/Shedding your life」という表現は斬新で面白いし、鑑賞後に私が感じた清々しさを見事に表現しているように思えた。一緒にウォッチ・パーティーをした友人に聞いたところアメリカ人でも初めて聞いたとのことだったので、グロフが自ら思いついた比喩表現なのだろう。

 年を重ねるということは、記憶が積み重なり、自分という存在が幾重もの層に覆われていくということだ。そこには甘美な思い出、選ばなかった道への未練、避けられなかった妥協などいろいろなものを背負っている。しかし、玉ねぎのような厚い皮を一枚ずつ丁寧に剥がしていけば若い頃のフレッシュな気持ちに戻ることはできるのだ。私は『Merrily』を観ながらグロフと一緒に人生の皮を徐々に剥がしていき昔の自分に再会したのだろう。


 かつてソンドハイムは『Merrily』を「あなた自身の身に起こり得る教訓のような話」と形容した。友情はいかに脆く壊れやすいか。夢と理想は目先の利益、便宜主義によりいかに変貌してしまうか。記憶は断片的であれ残り続けること。言葉はいかに重要であるか。そんなことを本作は教えてくれる。

 中年になった今、透き通った青空からレンガがいきなり落ちてくるような(「Now You Know」の一節より)理不尽な出来事が突然起こることも、運命的な出会いと信じていても泡沫のように消え果ててしまうことも知っている。「今まで選んだ道は果たして正しかったのだろうか?」という後悔に襲われることも多々ある。自分の言葉で不意に傷つけ疎遠になってしまった友人もいる。

 だからこそ今この瞬間を大切にしながら生きていく。劇中でチャーリーが言うように、今もありがたいことに続いている友情を庭のように水やりしながら育てていく。人に向ける言葉には慎重になる。そして時には人生の厚い皮を剥がしていき若かりし頃の自分が持っていた大胆さ、冒険心に再び触れてみたい。

 昨日は終わり、過去にはもう戻ることはできない。『Merrily』で度々登場する「どうして私の人生はこうなったのだろうか?/How did you get to be here?」という自問はこれからも頭をよぎることがあるだろう。そんな時にはソンドハイムの音楽に立ち返ればいい。『Merrily We Roll Along』のメロディと歌詞がフランク、チャーリー、メアリーの年齢によって違う共鳴を持つように、ソンドハイムの楽曲自体も私が年を重ねるにつれて新たな発見とインスピレーションを与えてくれるからだ。彼の音楽はこれからも人生のサウンドトラックとして私の中に響き続けるだろう。

(1)『Finishing The Hat』written by Stephen Sondheim

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